カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第40講・なぜ、小国オランダは世界の覇権を握ることができたのか?①」

フェルメール

フェルメールの絵に描かれたオランダ地図

ハイパーインフレはなぜ起きた? バブルは繰り返すのか? 戦争は儲かるのか? 私たちが学生時代の時に歴史を学ぶ際、歴史をカネと結び付けて考えることはほとんどありませんでした。しかし、「世の中はカネで動く」という原理は今も昔も変わりません。歴史をカネという視点で捉え直す! 著作家の宇山卓栄氏がわかりやすく、解説します。                   

闇に葬られた事件

 この資金集めレースに勝ったのはオランダでした。イギリス側の、一航海ごとに資金の精算を行う方式は、恒常的な組織運営を妨げ、安定性を欠く原因となり、投資家に嫌気されました。  また、富裕層というものはいつの時代でも、ハイリスク・ハイリターンの一発勝負を好みません。オランダ東インド会社は長期安定性重視型の投資スタンスを取り、多くの富裕層の資金を集めることに成功し、イギリスに先んじて、アジア交易を開拓していくことになります。  オランダ東インド会社は1619年、インドネシアのジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)を拠点とし、スペイン・ポルトガル勢力を排除しながら、モルッカ諸島(香料諸島)へ進出し、東南アジアの香辛料貿易を独占しようとしました。  1622年、マカオを攻撃しますが失敗し、代わりに台湾へ進出し、台南にゼーランディア城を建設して、中国進出の機会を伺いました。

オランダを追うイギリス

 イギリスは一足遅れ、1615年、香料諸島に進出します。オランダとイギリスは香辛料貿易の利権を巡り、激しく対立し、1623年、モルッカ諸島のアンボイナ島にあるイギリス館をオランダが襲い、商館員を全員殺害するという陰惨な事件(アンボイナ事件)が起こります。  重要なことは、この事件が起こった後のイギリスの対応です。この事件で、イギリスの反オランダ感情が激化したにも関わらず、イギリスはオランダに報復しませんでした。  そればかりか、虐殺の首謀者の身柄引き渡しも要求しませんでした。なぜ、この事件に、イギリスはきちんと対応しなかったのでしょうか。  当時、イギリスは毛織物製品の生産国で、オランダがそれらの製品を卸しで引き受け、ヨーロッパ各地にリテール(小売り)していました。オランダは広範な販路ネットワークを持ち、ヨーロッパ随一の商品販売力を誇っていました。  イギリスの毛織物産業はオランダの営業・販売に大きく依存していました。オランダもまた、良質なイギリス産毛織物を仕入れなければ、商売になりません。  両者の思惑で、アンボイナ虐殺事件を曖昧なまま、幕引きしました。やはり、国家にとっては、経済的な利益こそが最優先であるのです。  アンボイナ事件後、イギリスは香料諸島から撤退し、オランダが香辛料貿易を独占します。しかし、16世紀後半のポルトガル時代から香辛料価格は供給過多のため、値下がりしており、17世紀になっても下落し続け、オランダは香辛料貿易で、ほとんど利益を上げることはできませんでした。 【宇山卓栄(うやま・たくえい)】 1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。著書には『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)ほか。
世界史は99%、経済でつくられる

歴史を「カネ=富」の観点から捉えた、実践的な世界史の通史。

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