世界文化遺産から読み解く世界史【第15回:アステカ文明以前の謎の古代都市――テオティワカン】
中南米のピラミッドと日本の古墳の類似性
今月は中南米の歴史について述べていきたいと思います。 最初はアステカ文明の前の時代といわれる古代都市テオティワカンです。 テオティワカンはメキシコ・シティの北方にある遺跡です。その起源は紀元前2世紀の中頃とされています。そして4世紀から7世紀にかけて繁栄を築いたといわれます。 「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」といわれるものがつくられています。「太陽のピラミッド」は高さ65メートル、底辺の一辺の長さは225メートルです。「月のピラミッド」は、高さ46メートル、南北168メートル、東西131メートルです。 その建築技術を見ると、日本の古墳時代と同じような数学や天文学の知識、建築技術を持っていたということがわかります。一見、日本とは無関係に思われる古代都市テオティワカンには、日本の古墳時代のさまざまな謎を解き明かす上での示唆があると思われます。 「太陽のピラミッド」と呼ばれるものがつくられているとおり、ここでは太陽が注意深く観測されています。夏至の日には太陽がピラミッドの正面に沈むように設計されているのです。そうした建造物の特質が、前方後円墳をはじめとして、日本の古墳をどのように見るかについても、非常に大きなヒントを与えているのではないかと思えます。文字が発達してなくても高度な文化を持っていたテオティワカン
テオティワカンは、最盛期には人口が10万人を超えていたといわれます。これは、同時代の長安やコンスタンティノープルに匹敵する大都市だったことになります。そうした規模を持っていたということは、建築が人々のさまざまな知識や技術に支えられていたということです。ですから、文字がなくても、そうした創造力を十分に持っていたということです。 どういう言語が使われていたかは研究されているところですけれども、口誦で、伝達がされていたであろうと想像されます。 これは、日本の古墳時代が、同じように文字が発達していない中で、巨大な古墳をつくっていたことを連想させます。 「月のピラミッド」から南に向かって延びる幅40メートル、長さ5キロメートルの「死者の道」と呼ばれる大通りの先には「ケツァルコアトルの神殿」があります。ケツァルコアトルとは「羽毛が生えた蛇」の意で、農耕の守り神として信仰されていたといいます。そのような自然信仰があったということは、日本の神道の自然信仰と似ています。そして「死者の道」の周りには、600近くの建造物が配置されていたであろうといわれています。 しかし、7世紀半ば頃からこの都市は衰退し始めました。火災や他の部族の進出によって破壊されたといわれます。しかし、その詳細はまだわかっていません。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』ほか多数。
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