世界文化遺産から読み解く世界史【第16回:アステカ文明以前の謎の古代都市――テオティワカン(続)】

ラテンアメリカタワーから見たのメキシコ・シティの風景(加工)

ラテンアメリカタワーから見たメキシコ・シティの風景

アステカ王国の首都の繁栄

 テオティワカンというのは、「神々の集う場所」という意味です。この遺跡は、14世紀になって、アステカ人によって発見されました。

 ここでは人が生贄として捧げられていたことがわかっています。そのことから西洋人によって野蛮な文化だと見なされてきました。しかしそれは神観念の違いの問題です。

 メキシコ・シティは、アステカ人がつくったテスコ湖の湖上の小島に築いた大集落から始まりました。そこに最盛期は20万人を超える人がいて、アステカ王国の首都テノチティトランとして繁栄を謳歌していたといいます。後に、メキシコはスペイン軍の侵略を受けます。エルナン・コルテスがメキシコを陥れ、1521年に、ヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)をつくったのです。

 メキシコがスペインによって陥落したのは、銃のためといっていいでしょう。たった500人のスペイン軍によって、アステカ王国の首都のテノチティトランはあっけなく占領されてしまったのです。それと同時に、このテオティワカンも捨てられて、まさに遺跡になってしまいました。しかしそれは、日本の神道と似た自然信仰を持つすぐれた文化だったはずです。その再評価というものが必要になると思います。

銃によって滅ぼされた都市

 メキシコはスペインの侵略を受けて、その文化もキリスト教化されていきました。テノチティトランからメキシコ・シティと変わった町には、ソカロとよばれる広場の隣に大聖堂がつくられ始めました。

 そうした動きは、日本にやってきた宣教師によって日本にも伝えられていたことでしょう。メキシコのみならず、やがてフィリピンにまでスペインが侵攻したという事実は、日本を含めたアジアも侵略の対象になるということを読み取っていたと思います。

(出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社

【田中英道(たなか・ひでみち)】
東北大学名誉教授。日本国史学会代表。
著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』ほか多数。

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