旧石器ハテナ館が面白い(1)――旧石器時代の国内最古の住居跡が見つかった!

住居状遺構(復元)

史跡田名向原遺跡の住居状遺構(復元) こげ茶色囲みの所は柱穴、オレンジ色囲みの所は炉跡、青色囲みの所は入口と推定されている

数少ない旧石器時代をテーマとする博物館


 神奈川県相模原市に、愛称「旧石器ハテナ館」がある。正式名称は、「史跡田名向原(たなむかいはら)遺跡旧石器時代学習館」。正式名称が長いので、公募によってこの愛称が決まったという。

 この旧石器ハテナ館は、わが国では数少ない旧石器時代をテーマとする博物館・資料館に位置づけられる。

 この施設の道を挟んだ真向かいには史跡田名向原遺跡公園があり、その一角には平成9(1997)年の土地区画整理事業に伴う発掘調査で発見された今から約2万年前の後期旧石器時代の住居状遺構を見ることができる。この遺構は、国内最古の建物跡として平成11(1999)年に国の史跡指定を受けた。

 現在、見ることができる住居状遺構は、発掘状況をレプリカで忠実に再現したもので(上の写真)、実際の遺構は、保存のため盛り土し保護層で覆われており、現状より1.5m下にある。

 この遺構はほぼ円形で直径約10mあり、12か所の柱穴と2基の炉跡(焚き火跡)、また柱穴の外周には多数の円礫(えんれき=直径2mm以上の丸石)で構築されている。これらのことから、大きくしっかりした造りの建物あったと推定されている。

旧石器時代は食糧を求め「移動」しながら生活したとされているが


 まず、最初の「ハテナ」。なぜ2万年前の建物と特定できたのか? 

 それは、住居状遺構の柱穴から見つかった炭化物を「放射性炭素年代測定法」を用い測定し、誤差を較正(こうせい)して得られた数値である。

 この測定法の原理は、以下の通りである。炭素14という放射性物質があり、これは、ほぼ一定の濃度で大気中の二酸化炭素に含まれており、生物体にもほとんど同じ濃度で存在する。生物が死ぬと二酸化炭素の取り込みが途絶え、体内の炭素14が一定の半減期(5730年)で減り続けるので、木片・骨・貝殻などの炭素14の量をもとにしてその生物が生きていた年代を推定・特定する測定法だ。

「えっ、2万年前というと旧石器時代であり、その住居跡なの?」と思われる方は、相当の考古学通である。

 少し横道に入る。旧石器時代は、世界史的な観点からいえば、石器の出現から農耕のはじまる時期までを言い、一般的には約260~250万年前から約30万年前を前期、約30万年前から約4~3万年前を中期、約4~3万年前から約1万年前を後期として、大きく3つの時期に分かれる。

 基本的に旧石器時代は、打製石器が用いられて狩猟採集漁撈が営まれ、「定住」はせず、食糧を求め「移動」しながら生活したとされている。

 その後、土器と磨製石器が出現し、打製石器と併用する新石器時代が到来し、わが国では約1万5000年前から縄文土器が用いられ「定住を基本」とする縄文時代が展開される。

 ちなみに原始・古代にあっては、人類が用いる利器の発達から、古い順に石器時代(旧石器と新石器の二つに分かれる)、青銅器時代、鉄器時代に分けられるのが一般的だ。

 本題に戻ろう。2万年前といえば後期旧石器時代に当たり、この時期はそもそも定住せずに移動を基本としていると理解されている。そのため、移動に際して寝泊り用の獣の皮で作られた簡易なテントはあったとしても、前述した大きくしっかりした建物である住居状遺構は一体何なのかという疑問がわく。

 次項以降、この旧石器ハテナ館の解説などを基にしながら、このハテナを解き明かしていきたい。
(なお、館内展示物の写真撮影は受付に申し出れば可能だが、それをブログ等にはアップしないでほしいとのこと。そのため、本稿を論じていく上でどうしても必要な館内展示物の写真は、この施設のホームページや『館報尖頭器』のものを引用、使用させていただいた)(続く)

(文責=育鵬社編集部M)





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