こだわりの食生活を続けたが…[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第39話)]

「原本は明治31年に出た『化学的食養体心論』」

自然食の励行


 ボクが心臓バイパス手術を受けなければならなくなった大きな理由はこだわりの食生活にあった。

 ボクは若いころから自然食を提唱する料理研究家榊淑子さんの信奉者だった。榊さんの考えは「食生活は自然が一番」ということである。人間も自然の産物なのだから自然の法則に則るのが理に適うということである。

 自然が一番という榊理論の背景には明治の陸軍薬剤監・石塚左玄の食養論があった。左玄は言う。

「春苦味、夏は酢の物、秋辛味、冬は油と合点して食え」。
「生命あるものは全体を食せ。果物や野菜は皮を剥かず、魚は頭から尻尾まで全体を食え」(一物全体食論という)。

 さらに「身土不二」という理論もある。身体とその置かれている風土は不可分の関係にあるからその土地、その地方に伝わる伝統的食生活に従えということである。日本人なら洋食より和食がより自然らしい。

 榊さんは料理研究家として左玄の理論を実践した。
 まずは、旬に従うことを強調した。例えば春の野菜には苦みの強いものが多く、それがでんぷんの消化を助け、春にふさわしい活動につながるとする。

 魚も同様で旬が一番美味しいし、漁獲量も多く、手に入りやすく、値段も安い。

 次に、加熱するより生で食べよと力説し、水に関しても湯冷ましより生の水を飲むように説いた。湯冷ましには酸素がないということがその理由だった。

1日30種は食べなさい


 一日30種類の食材を取りなさいとも言った。限られた食材ではなく、多品種にすればするほどいいと言った。

「肉より魚」とも教えた。日本人は海洋民族で、先史時代から魚を食べており、肉食は有史以来のことに過ぎないと言う。

 果物や野菜は色採りに気を使っていた。赤、青、黄色を取りそろえて、日光のトリコロールを吸収したものだと説明し、食卓もカラフルになり、食欲も進むという演出にも意を用いていた。

 そして生活のリズムを創るべしとして夜食を避けよとも言った。昔から夜は断食(FAST)のときである。

 断食をしっかり行って目が覚めたらそれを破る(BREAK)。だから朝食はBREAKFASTというのだと、しゃれたことも教えてくれた。

 もちろん榊さんは一つ一つの食材について炭水化物、タンパク質、脂肪の多寡やビタミン、ミネラルなど細かく考えて料理を作るのだが、料理をしないボクはそこを軽視した。ボクの基準はあくまで「どっちが自然か」というだけである。

行きつく先は生シラス


 例えば一物全体食論。ボクはマグロの刺身も好きだが、それより鯵、鯛、ヒラメ、いか,イワシなどの小魚の刺身を好み、あらは潮汁にした。

 海浜に住んだ古代人だってはじめからマグロのような巨大魚を食べたわけではないだろう。浅瀬に住むイワシなど小魚から食べ始めたに違いない。マグロを食するには漁法の進歩を待たねばならないはずだ。それにマグロの刺身は身だけを食うという部分食だ。

 だから大型魚より小型魚の方が自然ということになり、行きつく先は生シラスということになる。加熱もしていないし、塩分の添加もない。ボクは今でも生シラスのある店ではそれを注文する。

 栽培ものより野生の方が自然だということで、セリ、ミツバ、のびるなども近くの山で採ってきた。

 こうしたこだわりに拘わらず、なぜ動脈硬化を来し、バイパス手術になってしまったのか。理由は簡単だった。過食になっていたことと、栄養のバランスを欠いたことである。

 炭水化物、タンパク質、脂肪の摂取は5対3対2がいいとのことだがそんなことは眼中になかった。

 これからのボクの課題は天真爛漫なこだわりの食生活を、科学的な根拠に基づいたものに変えていくことだと思う。

良かれと思ったこだわりにも落とし穴はあるものだ。

協力:東京慈恵会医科大学附属病院

【境政郎(さかい・まさお)】
1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。





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