世界文化遺産から読み解く世界史【第27回:東洋との交易で栄えた町――ヴェネツィア】

ドゥカーレ宮殿(縮小)

ゴシック的要素とイスラム的要素のまじりあったドゥカーレ宮殿

イスラムとの交易で栄えた町ヴェネツィア

 イタリアは、まさに南欧文化にふさわしい人間性をうたい上げました。人間の美的な創造をさまざまな造形の中に持ち込みます。美術を表現形式の中心に置くのです。  各国、各民族にはそれぞれの特性があるわけですが、イタリアの場合は造形性、特に美術に重要性を置きます。ドイツの場合は、音楽や哲学に表現の中心を置くわけですが、イタリアは造形性が重要視される。このあたりが、日本と似ていると思います。    イタリアも、最初はイスラムの影響を受けているのです。それはヴェネツィアを例にすればよくわかるのですが、ヴェネツィアはもともとイスラムとの交易によって豊かになった町なのです。地中海貿易によって栄えたのです。この町はいまでもカスバのように、道が入り組んでいて迷路が多いわけです。    これは、他のイタリアの町が、割合規則正しく都市計画されているのに比べると特徴的です。    そのサン・マルコ広場は「世界で最も美しい広場」だといわれているのですが、これはナポレオンがいった言葉だといいます。  サン・マルコ大聖堂は、9世紀に創建され、11世紀に改築が始められました。最初は東方のビザンチンの様式を取り入れています。ですから、イスラム的な要素が見られます。もちろん北方のゴシックの影響もあります。ヴェネツィア総督の公邸だったドゥカーレ宮殿は、ゴシック的な要素と、イスラム的な要素が混じり合ったものとなっています。

マルコ・ポーロはヴェネツィアから日本を目指した

                         ヴェネツィアは、マルコ・ポーロがここを出発してジパングの情報を伝えたといわれていることに象徴されるように、13世紀に、東方貿易が開かれ、絹織物を中心に、東方のものがここに入ってきたわけです。  ヴェネツィアというと、アドリア海に開かれた華やかな都市というイメージがありますが、その美しさは、東方的な要素が強いということがあるのです。他の都市には見られない東洋的な要素、それはイスラム文化でもあるし、さらに遠くの東洋の文化でもあるのです。  絹織物が取り引きされたのと同時に、磁器や食べ物も東洋のものが入ってきた可能性があります。スパゲッティなどの麺も東洋貿易の中でイタリア化していったのかもしれません。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。
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