世界文化遺産から読み解く世界史【第29回:なぜフィレンツェから多くの芸術家が生まれたのか】
フィレンツェと奈良の共通点
それにしても、フィレンツェという場所が、なぜそういうものを生むことができたのかということについていうと、唐突に聞こえるかもしれませんが、端的にいえば、奈良とよく似ていると思うのです。美しい山に囲まれた盆地です。人間が芸術を創り出すとき、自然から受けるインスピレーションというものがあるのだと思われます。フィレンツェには山とともに、アルノ川という川があります。そうした環境が人々の詩心や、芸術創造の源泉になっていると思うのです。 また、メディチ家の保護を受けたフィチーノの思想が、ミケランジェロらの創造意欲を刺激したように、奈良では聖徳太子が仏教を取り入れたことで、人間の個人のあり方が注目されるようになり、柿本人麻呂や大伴家持のような個性豊かな詩人を輩出しました。 個人性に依拠した芸術ということでは、仏像をつくる仏師に、将軍万福や国中連公麻呂のような芸術家が生まれましたが、それは、フィレンツェにマサッジオ、ドナテルロ、ボッティチェリといった人たちが生まれたことと軌を一にしています。個人的な個性が芸術を生んでいるということが共通しているのです。 奈良は、『万葉集』を生み、東大寺と大仏殿、興福寺を生み、日本の文化の古典を築きました。フィレンツェは、そうした奈良と同じことが、イタリアで同じような現象として再現されたという気がするのです。石の文化と木の文化という違いはありますが、自然環境を含めて多くの共通性があると思うのです。フィレンツェと奈良の違い
そこに日本の先駆性があるわけですが、同時に違いもあるのです。 違いというのは、キリスト教と仏教の違いがありますけれども、フィレンツェには、ヴァザーリという美術史家が現れて、個々の芸術家の名前と作品を挙げながら、美術史をつくったということです。そういう人がいたということです。 しかし、残念ながら日本にはいませんでした。形を文章で表すということが日本では行われなかったために、日本の美術・芸術はフィレンツェの美術・芸術のように文字情報として世界に知られることはありませんでした。日本の美術の素晴らしさが十分世界に伝わっていないのは、それが大きな原因の一つです。記述がないために、見ないとわからないということになると、結局、遠方の人々にはその存在が知られないままになってしまうからです。 いずれにしてもフィレンツェは、イタリア美術の、そしてヨーロッパ文化の源泉となったのです。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。
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