世界文化遺産から読み解く世界史【第31回:優れた文化が生まれる理由――フィレンツェと奈良】

シエナのカンポ広場(縮小)

シエナのカンポ広場

「祭り」が都市を活性化させる

 フィレンツェの近くにシエナという町があります。このシエナに、シモーネ・マルティーニやドゥッチオという画家が生まれています。ここはフィレンツェとはライバル関係にあった町です。ともに金融業を中心に商業都市として栄え、競争関係にありました。そうしたことから、武力衝突も何度か起こりました。1260年の戦いでは、市民たちが、シエナの町を聖母マリアに捧げて戦勝を祈願し、フィレンツェと戦って勝ったという記録も残されています。

 13世紀の半ばからの百年間、この町は非常に栄えました。しかし14世紀の半ばにペストが大流行しました。イタリア全土では、人口が三分の二に減ったといわれています。

 これによって、特にこのシエナは打撃を受けて衰退に向かいました。ですからシエナという町は、14世紀だけの町といってもよく、当時の面影がよく残されているのです。

 この町のたたずまいは、イタリアのこの時代の典型といってもいいものです。それは広場がつくられ、そこでさまざまな祝祭が行われているのです。祝祭というものが、文化の中心になっているということが、シエナのような伝統文化が残っている場所によってわかるのです。

 広場は祝祭のためにあるのです。それに人々がお金をかけていろいろなものを創り出すのです。そういうものに参加することで、町が生き生きとしてきます。

 いまはそういう場所に行っても、観光だけで終わってしまいますが、市民が自分たちで参加してそこで祭りを行うということの重要性が都市の中には常にあったということです。
ですからこれは日本でも神道の祭りがいまでも各地の神社を中心にあるわけですが、そうした地域のつながり、共同体の盛り上げというものは、東西の文化に共通しているといってよいでしょう。

 フィレンツェなどのトスカーナ地方の各地では、聖史劇という路上での演劇が行われていました。キリスト教のバイブルを筋書きに、市民が参加して演技を行ってきたのです。
いまでもこの聖史劇が行われているところがあるのですが、祭りや演劇というものも、都市を活性化させる大きな力となっていました。このことは、東西に共通していて、世界で祭りというものが重要視されるということは、これはある意味で当然なことなのです。

 特にイタリアの場合は、サンタ・マリア・デル・フィオーレといって、教会堂が「花の大聖堂」といわれるわけです。これは花という名前がつけられているように、春を主題にしています。ボッティチェリにも「プリマヴェーラ」という題名の絵がありますが、春夏秋冬で祭りを行う、そういう季節感がイタリアにもあったわけで、春の祭りが盛んに行われていたということなのです。

優れた文化が生まれる条件

 これはメディチ家のロレンツォ・マニフィコが、為政者であるとともに詩人でもあったことが、芸術を育てるのにふさわしいものでした。メディチ家というパトロンがお金を出して、季節ごとの祭りを執り行っていたということが重要なのです。

 つまり、フィレンツェが傑出しているのは、哲学者がいたこと、パトロンがいたこと、その中で優れた才能が育っていったことにあるのです。

 そういう優れた文化が生まれた背景には、こうした条件が共通してあるのです。再び、奈良を例に挙げれば、メディチ家に相当するパトロンとして、聖武天皇、光明皇后という存在があったのです。

 奈良では、正倉院のような宝物庫がつくられ、フィレンツェでは、メディチ家によって収集されたものがウフィツィ美術館で絵画の一大コレクションになり、ラウレンティアーノの図書館もつくられたわけです。フィレンツェと奈良は、そうした一連の文化活動そのものが共通している部分が多く見られ、それは非常に興味深いことです。


(出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社)

【田中英道(たなか・ひでみち)】
東北大学名誉教授。日本国史学会代表。
著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。

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