【連載小説 江上剛】母の遺骨を押し付け合い……「なぜ人が死ぬとこんなにも煩わしいのだ」。【一緒に、墓に入ろう。Vol.16】

メガバンクの常務取締役執行役員にまでのぼりつめた大谷俊哉(62)。これまで、勝ち馬に乗った人生を歩んできたものの、仕事への“情熱”など疾うに失われている。プライベート? それも、妻はもとより、10数年来の愛人・麗子との関係もマンネリ化している。そんな俊哉が、業務で霊園プロジェクトを担当している折、田舎の母の容体が急変したとの知らせを受ける。 順風満帆だった大谷俊哉の人生が、少しずつ狂い始める…… 「墓じまい」をテーマに描く、大人の人生ドラマ――

第二章 母が死んだ Vol.16

母・澄江に借金などはない。長い人生で残したものは、この家とわずかばかりの預金と田畑だけ。 物悲しい気分になる。そんなわずかなものを清子と二人で分け合っても意味がない。 「いいよ。放棄するから好きにすればいい。手続きはどうするの?」 「えっ、本当ですか、兄さん」 健太郎が、ほっとしたような顔で清子を見ている。清子も安堵した顔だ。 「本当も何も、こんな家、分けようがないからな。お前らはどうするんだ?」 「さあね、どうするかじっくり考えるわ。ねぇ、あなた」 清子は、相続放棄を俊哉が簡単に納得したために、機嫌が戻った。 「お姉さん、母さんの形見分けですけど、着物やちょっとばかりの宝石もどうします? お姉さんには似合わない田舎臭いものですけど」  小百合が返事をしない。俯いたままだ。どこか不機嫌そうだ。 「おい、どうしたんだ」  俊哉が聞いた。  小百合が、顔を上げた。およよ、と俊哉がたじろいだ。 「私、何もいりませんけどね。でもおかしくないですか」  小百合が清子を睨んでいる。 「何か、おかしいこと言いました? お姉さん」  清子もぐいっと体を乗り出す。ヤバイ雰囲気だ、と俊哉は身構えた。 「だっておかしいでしょう。散々、遺言だなんだって言って、墓を守れって私に言いながら、ちゃっかり家や田畑などの財産だけは自分たちで独り占め。それだって本当にそれだけなのかどうか、この人は関心がないから、分からない。でも、でもですよ。財産を全部、持っていくなら墓も持っていくのが筋じゃないですか。そうじゃないの?あなた?」  小百合が俊哉に同意を求める。 「まあな……」  曖昧に返事をする。小百合の意見も一理ある。 「お姉さん、それじゃ私たちが財産を全部取ろうとしているみたいじゃないですか。墓は別ですよ。母さんの遺言ですし、私たちは笠原の墓があるんですから」 「でも最近は、二つの家で合祀するっていうのもあるって聞きましたよ」  合祀と言うのは多くの人の霊をまとめて一か所で祀ることだ。少子化で墓の後継者不足に悩む人たちが墓をまとめることが増えたという。 「そんなことは都会の話で、田舎ではありません。寺も違うし、笠原の家は浄土真宗ですから。無理です」 「でも、墓だけ、面倒な墓だけ」  小百合はぶつぶつと言う。 「面倒な墓とはなんですか。お姉さんでも言っていいことと悪いことがあります。私たちは、こんな家なんか欲しくはありません。田舎じゃ空き家だらけで二束三文にもなりませんし、管理するにも潰すにも費用が掛かるんですよ。でも相続というのは、人が亡くなった時の手続きじゃないですか。兄ちゃんは、東京で暮らしているわけだし、少ない財産を分けても仕方がないから、私たちが相続しようと考えただけです。それに、母さんが一人になってから、面倒を診て来たのは私たちですよ。お姉さん、一度でも、母さんのところに見舞いでも世話でも来られましたか。一度も来ないくせに、それを私たちに面倒だけ押し付けて、それなのに財産泥棒呼ばわりするなんて、腹立つなぁ」  清子は憤懣やるかたない顔で小百合を睨む。 「財産泥棒なんて言っていない‥‥」  小百合の負けだ。清子の剣幕に勝てる者はそれほどいない。実際、母の世話など、面倒をかけたのは事実だし、長男としての務めも何も果たしていないという負い目がある。 「まあまあ」健太郎が仲裁に入る。「不満なら、ちゃんと分けてもいいんですが、こんな家、売れませんしね。壊すにしても金が要りますよ。兄さん」  健太郎が、押しつぶさんばかりに俊哉に迫って来る。 「なあ、いいだろう。小百合。健太郎さんと清子に任そうよ」 「あなたがいいなら、私は、関係ないから」  小百合は、不満そうに答える。 「ということだ。後のことは任せるから、よろしく頼むよ。書類があるなら、後日、送ってくれれば署名捺印するから」 「分かりました。そうしますね」  健太郎の顔が緩む。 「それで納骨まで、お母さんの遺骨はどうしますかね。ここに置いて置くのも、お母さん、寂しがるだろうし、物騒だし」  言いにくそうに健太郎が言葉を繋ぐ。 「えっ、どういうこと?」  俊哉が聞く。 「あの祭壇にある遺骨ですが、納骨まで、兄さんが預かるのが筋かと……」  微妙な笑み。 「筋? なんの筋?」  むかっとする。 「ここで母さん、一人になるんですよ。御詠歌もあげないとなれば、この家、閉めちゃいますしね。そこに遺骨だけ……というのはどうも」 「おいおい、この家を君らが相続するんだろう? そしたら納骨までは、遺骨も管理するのがそれこそ筋じゃないのか」  俊哉が怒りのこもった口調で言う。 「それはやっぱり兄さんが」  健太郎の表情が歪む。 「清子、ちょっと虫が良すぎないか」   俊哉は清子に向かって声をわずかに荒げる。隣に座っている小百合が、俊哉の尻の辺りをつつく。頑張れと声援しているように感じる。 「なにが、虫がよすぎるのよ。私たちだって毎日、ここに来れないから、遺骨くらいは四十九日まで兄ちゃんが保管したらどうかって思っただけよ」 「お前達でもいいだろう。近くに住んでいるんだから。だいたい納骨もすぐに済ませればよかったんだ。それを四十九日過ぎないと、とこだわったのは、清子じゃないか」  声を荒らげる。 「わっ」   清子が急に泣き伏す。 「どうしたんだ」  俊哉が驚いて聞く。 「兄ちゃん、あまりにも冷たい。遺骨を邪魔ものみたいにさっさと片づけたらいいって言うの? 母さんがかわいそうじゃないの」  本気で泣きじゃくる。 「私、失礼して、休ませてもらいますね。もう遅いですから。勝手にやってください」小百合が立ち上がる。泣いている清子を、憎々し気に見下ろす。「あなた、お休みなさい」 「おい、小百合!」   俊哉は小百合の後姿に声をかける。このまま、遠くに行ってしまいそうなほどの勢いで、寝室として俊哉と小百合に用意された部屋へと歩いて行ってしまった。  なぜ人が死ぬとこんなにも煩わしいのだ。いい加減にしろといいたい。もうどうでもいい。勝手にしろ。  清子はまだ泣いている。その泣き声を耳にしながら、遺骨が飾られた祭壇を見つめた。ろうそくを模した電球が、球切れを起しつつあるのか、明るくなったり、暗くなったり、点滅をし始めている。 ──とにかく墓だけは頼んだよ。  点滅する電球が、母の声で語りだす。俊哉は、憂鬱さに顔を歪めた。 <続く> 作家。1954年、兵庫県生まれ。77年、早稲田大学政治経済学部卒業。第一勧業(現みずほ)銀行に入行し、2003年の退行まで、梅田支店を皮切りに、本部企画・人事関係部門を経て、高田馬場、築地各支店長を務めた。97年に発覚した第一勧銀の総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾とコンプライアンス体制確立に尽力、映画化もされた高杉良の小説『呪縛 金融腐蝕列島II』のモデルとなる。銀行在職中の2002年、『非情銀行』でデビュー、以後、金融界・ビジネス界を舞台にした小説を次々に発表、メディアへの出演も多い。著書に『起死回生』『腐食の王国』『円満退社』『座礁』『不当買収』『背徳経営』『渇水都市』など多数。フジテレビ「みんなのニュース」にレギュラーコメンテーターとして出演中(水~金曜日)江上剛
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