世界文化遺産から読み解く世界史【第37回:東西の間での苦難の歴史――ブダペスト】
マリア・テレジアが再建した町
ハンガリーは、1000年に、イシュトバーン1世によって建国されました。その後、モンゴル軍の侵入や、オスマントルコによる支配を受けた後、首都のブダ(現在のブダペスト)はオーストリアのハプスブルク家に仕えるオイゲン公によって解放され、1699年、ハンガリー王位を継承したハプスブルク家に返還されました。 この、ブダの再建に当たったのが、ハンガリー女王として即位したハプスブルク家のマリア・テレジアでした。マリア・テレジアは、神聖ローマ帝国皇帝カール6世の娘です。 その神聖ローマ帝国皇帝位を相続したのが、夫のトスカーナ大公フランツ・シュテファンだったのですが、その相続をめぐり、オーストリア継承戦争(1740~1748年)が起こりました。 これは、当時、神聖ローマ帝国は女系の相続が認められていなかったために、夫が帝位に就いたのですが、それを好機ととらえたフランスやプロイセンが領土の分割をはかってオーストリアに攻め込んできたのです。オーストリアは一時窮地に陥ったのですが、1741年にマリア・テレジアがハンガリー議会に乗り込み、オーストリアの救援演説を行った結果、ハンガリー貴族の心を動かして、その支援によってオーストリアは1748年にアーヘンの和約を結び、皇帝位を確保するとともに、失った領土を取り戻したということがあったのです。ドナウ川をはさんだ2つの都市が1つになった
ブダペストという町は、もとはブダ地区とペスト地区がドナウ川をはさんで独立した都市として向かい合っていたのですが、1849年に両市を結ぶくさり橋が完成したことを受け、1873年に統合され、ブダペストとなりました。 ハンガリーは、フン族の末裔というだけあって、非常に東方に対して開かれています。東西の狭間での苦難の歴史を持つと同時に、東洋に近いという雰囲気を持っているのです。 ブダ地区には、マーチャーシュ聖堂のような、高さが18メートルもある尖塔を持つ教会があるのに対して、ペスト地区にはゴシック調の外観に、ルネサンス風のドームがつけられた国会議事堂があって、ドナウ川をはさんだ二つの景観が非常に対照的です。 ブダペストは第二次大戦後、社会主義陣営に入り、非常に暗い時代を迎えましたが、ソ連が崩壊した後は、「東のパリ」と呼ばれるほど人気のある都市となっています。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。
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