白河館まほろんが面白い③――縄文人や旧石器人は何をどうやって食べていたのか?

「縄文時代の食卓」コーナー

カマドが誕生したのは、いつの時代か

「奈良・平安時代の食卓」コーナーでは、大きなカマドが鎮座している。時代を遡ると、「古墳時代の食卓」の解説文において、  古墳時代の中ごろには、家の中にカマドがつくられるようになりました。カマドが登場すると、……食べ物を蒸すことが……できるようになりました。……お米の料理方法も土器で炊くだけでなく、「おこわ」のように蒸して食べることもできるようになりました。  と記述されている。カマドの起源は古墳時代の中ごろなのかと思い知る。さて、時代は「弥生」「縄文」「旧石器」時代の食卓と遡っていく。  弥生時代は日本各地で米作りが行われ、食卓のメニューに日本人の主食のご飯が登場した。解説文には、「内側におこげが付いた土器が発見されており、土器でお米を炊いていたことがわかります」と記されている。  さりげない解説文であるが、注意深い小中学生ならば、土器に付いたおこげから食べ物が分かるのかと、知的な感動を覚えるかもしれない。また、弥生土器と縄文土器の機能性の違いに気づくかもしれない。

縄文時代の食生活の豊かさ

「縄文時代の食卓」の解説文

 次は、いよいよ縄文時代である。これは、展示コーナー(冒頭)と解説文(左側)を画像でご紹介しよう。  一昔前までは、縄文時代は貧しい時代と捉えられていたが、青森県の三内丸山遺跡などの発掘調査により、近年では豊かな縄文時代像が定説になっている。前掲の育鵬社版教科書でも次のように記している。  縄文時代の人々の生活は、魚介類をとったり、狩猟や採集を中心とするものでしたが、クリの木などを管理し、アサやヒエなども栽培していました。また、干物や塩漬けなどの保存食……をつくる技術ももっていました。こうした食料をたくわえる技術の向上は、人々の定住とムラの発達をうながしました(21ページ)  確かに、弥生時代は米作りが盛んになったが、米作りに依存しすぎると日照りなどで凶作となった場合、飢えに苦しむこととなる。  展示解説文では、縄文時代の食生活の豊かさがさりげなく記述され、さらに木の実や獲物の肉などを混ぜ合わせて作られた縄文クッキーの展示まである。

旧石器時代のコーナー

 そして、いよいよ旧石器時代の食卓である。展示コーナーの画像(左)を紹介しよう。中央が礫群(れきぐん)という、こぶし大ほどの比較的大きな石が数十個ほど集中している場所であり、これらの石がいずれも赤く焼けており、また焦げ付いた石が見つかることから「炉」の跡と見られる。  右側に見られるのがオオツノジカの肉が笹の葉に置かれており、笹の葉に包まれた肉が火で熱した石の上で蒸し焼き、あるいは石焼きにされたと想定されている。右端はオオツノジカの角(つの)である。  この時代は定住せずに、動物の皮で作った移動用テントで寝泊まりしたと考えられているが、不確かな点が多く住居の様子は再現されておらずに、壁面に当時の草原の想像図が描かれている。  さて、昭和40年代から旧石器時代まで食卓の様子を遡って見てくると、その時代に応じて、日本人がさまざまな工夫をしながら生きてきたことが分かる。身近な衣食住のうち、食と住の時代変化をつぶさに観察でき、歴史への興味が湧き上がってくる。 【④に続く】(文責=育鵬社編集部M)
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