朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源「第4講 :高麗、中国の属国でない独立国」

海印寺・大蔵経経板閣内の版木

海印寺・大蔵経経板閣内の版木

北朝鮮の拉致・核問題の暴虐、韓国の執拗な反日政治、これらの異常さというのはいったい、どこから来るものなのか。著作家の宇山卓栄氏はその答えを、朝鮮特有の「歴史的隷属」に見出す。朝鮮半島は一時期を除き、約2000年間、中国の属国だった。中国への隷属は朝鮮人の心を蝕み、我々、日本人には考えられないような「精神の卑屈」を招いた、と宇山氏は説く。

高麗という栄光


忠烈王は非常に有能な国王であったと思います。その有能な国王がここまで、他国に追従するのには当然、理由があります。その追従の経緯を高麗の成立時から順を追って見ていきましょう。

太祖王建(ワンゴン)が高麗を建国(第2章参照)し、936年、朝鮮を統一しました。高麗は「新羅→高麗→李氏朝鮮」の3つの統一王朝のうちの2つ目で、統一王朝で唯一、中国の属国でない独立国としてスタートしました。

この間、中国は戦乱期を経て、960年、宋王朝が成立します。彼らは文治主義を掲げ、軍事拡張政策をとりませんでした。そのため、高麗は中国の支配を受けずに済んだのです。

高麗では、宋から学んだ製陶技術も発達し、高麗青磁が作られ、また、仏教が保護され、高麗版『大蔵経』が編纂されるなど、文化的な高揚も見られます。高麗初期は朝鮮人の栄光の時代として記憶されているのです。

文官の優位と身分制


高麗では、両班(ヤンバン)という身分制が確立します。役人のうち、文官を文班(ムンバン)、武官を武班(ムバン)と呼び、その両者をあわせ、両班と言いました。両班は社会的な支配者層を構成し、官職を世襲しながら特権貴族化していきます。

高麗では、「尚文軽武」と言われ、文官が武官よりも上位とされました。高麗は儒学を国学化しました。科挙試験でも儒学を課し、儒学の素養のある者が文官として取り立てられて、出世しました。

太平の時代に、武は必要とされず、武人たちを精神的に去勢するためにも、儒学の原理(目上の者には逆らってはならないなど)が統治に利用されたのです。

両班をはじめとする身分制は儒学の教えとともに徹底されます。身分の上下は絶対的なものであり、政権にとっても、社会を安定させる秩序の根本であったので、これに従わない者を厳罰に処しました。

高麗では、こうした厳しい身分制に従い、武官は文官と食事を共にすることもできず、酒宴でも場外に出されていました。重要な政治的権限は与えられず、文官に服従させられました。

12世紀以降、北方の女真族との戦いで発言権を強めていった武官たちは遂に、クーデター(1170年、庚寅の乱)を起こし、文官を抹殺し、政権を掌握し、国王を操ります。いわゆる「武臣政権」の成立です。

宇山卓栄(うやま たくえい)
著作家。著書に『朝鮮属国史~中国が支配した2000年~』(扶桑社新書)。





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