世界文化遺産から読み解く世界史【第74回:マヤ文明最大最古の都市遺跡――ティカル国立公園】

ティカル遺跡

ティカル遺跡

なぜマヤ文明は滅んだのか

 ユカタン半島には、マヤ文明の都市遺跡がたくさん残っています。現在、グアテマラのティカル国立公園となっていますが、そこにはマヤ文明の最大最古の都市遺跡があります。  そこは鬱蒼と熱帯雨林が生い茂るジャングルです。そのティカルという都市遺跡には、紀元前6世紀頃に人が住み始めて、250年頃にはそこが大祭祀センターのようになっていたということがわかっています。  20世紀になって、碑文に刻まれた最古の年代が292年ということが解読されて、その後、4世紀から8世紀に至る都市の歴史が明らかになっています。  最初は、テオティワカンの影響を受けていたようですが、8世紀頃から独自の文化が発展して、最盛期を迎えたといわれます。3000にも及ぶ建造物によって、その高度な天文学の知識や建築技術をうかがうことができます。そしてここにも、高さが約65メートルもあるピラミッドがつくられています。  それはちょうど、日本では、古墳時代から飛鳥、奈良、平安時代に移る頃のことでした。いまでは遺跡しか残されていないため、その内容がよくわからない面がありますが、やはりこれも日本の神道と共通性のある自然信仰が基本になっていたと考えられます。  しかし、その自然信仰を基本とする宗教が、共同宗教で成り立っていたというところにこの文化が滅びる原因があったのだろうと思うのです。  それは、共同体そのものがなくなれば、文明そのものもなくなってしまうからです。  16世紀には、中南米の国々はスペインやポルトガルによって植民地化されることになるのですが、このマヤ文明の場合は、10世紀頃、忽然と消滅しているのです。  その衰退の原因ははっきりしていません。メキシコ・シティの博物館には、このマヤ文明のいろいろな彫刻が収められていて、たくさんの土偶があります。  その土偶を見ていると、近親相姦の問題があったのだろうということがわかります。つくられた像が特異な姿をしているのです。異形といっていい人たちの姿です。  近親相姦は文明が発達すれば消滅していくのですが、しかし、必ずしも文明、文化の支障とはならないところがあるわけです。それは日本の縄文時代を考えても、日本の神話でも、伊弉諾尊、伊弉冉尊が兄妹でありながら結婚をするという、そういうことが一般的に行われていたということがあるわけです。  そうした近親婚がマヤ文明にもあって、それが人口を減らす一つの原因になったのではないかと考えられます。土偶や人物彫刻に見られる異形は、そのことを推測させます。もちろん、それによってマヤ文明が消滅したというわけではないでしょう。  日本の場合、自然信仰を基本とする神道の上に、仏教を取り入れたわけですが、そのことによって、個人の意識が強められ、近親相姦が少なくなっていったと考えられます。  マヤ文明は、共同宗教としての自然信仰のみであったことが、その消滅へとつながった要因になったのかもしれません。 (出典=田中英道・著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 田中英道(たなか・ひでみち) 昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本美術全史』(講談社)、『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『世界文化遺産から読み解く世界史』『日本の宗教 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史――世界最古の国の新しい物語』『日本が世界で輝く時代』(いずれも育鵬社)などがある。
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