現代日本の川辺文化のイノベーション: 北浜テラス1

都市河川は、殺風景な都会のオアシス

 川沿いのレストランのテラスで、風を受けながらゆっくりと食事やお酒を楽しむ誠に素晴らしい時間だ。筆者の経験を思い起こせば、ヨーロッパやアジアの国々には、写真のような空間があちこちにあったように思う。  しかし、日本にはこうした川辺空間はほとんどない。多くの場合、レストランと川が分断されていて、せいぜい「レストランの窓から川を眺める」という程度だ。  外国なら当たり前の川辺空間が、日本ではなぜダメなのかと言えば行政による「河川管理」という概念が、少々過剰に「厳格」に適用されているからだ。  そもそも、川岸や堤防が老朽化で崩れたりしないように、大雨が降っても洪水にならないように、あるいは川辺で遊んでいる人たちができるだけけがをしないように、都道府県や市町村、そして国があらゆる河川において常時、気を配るこうした「河川管理」ももちろん必要不可欠だ。  しかし我々人間は、安全でありさえすれば、それで満足というわけでもない。「パンのみに生きるにあらず」、時に自然と触れ合いながら楽しくゆったりと食事をしたりしたくなるのが人間だ。  しかも、田園地域や中山間地に比べれば自然が圧倒的に少ない「殺風景」な都市においては、「川辺空間」というのは、誠にもって貴重な「自然」を感ずることができる「オアシス」だ。  この空間を、都市に集う人々の「ゆったりとした食事やお酒をたしなむ空間」、いわゆる「アメニティ」(快適)や「レクリエーション」(気晴らし)の空間として活用しないのは不条理極まりない。  だからこそ、諸外国では当たり前のように川辺空間がレストランやバーに活用されているわけである。しかもそれは、「かつて」の日本においても同様だった。  その典型が京都の真夏の鴨川や貴き 船ぶねの川床であり、東京の屋形船もその一例だ。これらはいずれも、日本人が江戸時代から川を楽しみながら食事をすることに大いなる価値を見出し、そういう文化を作り上げていたことの証左だ。  しかし、そうした風習は、戦後、日本が近代化し、「行政による河川管理」がより厳格化されるにしたがって徐々に失われていった。  上述の京都の川床等、古くから続けてこられた一部の例外を除けば、河川空間がレストランやバーとして活用されることはほとんどなくなっていった。  そして誠に遺憾ながらも、前述のような河川敷の空間が、全国の都市に広がっていったのであった。 藤井聡著『インフラ・イノベーション』(育鵬社刊より) 著者紹介。1968 年奈良県生まれ。京都大学大学院教授(都市社会工学専攻)。第2次安倍内閣で内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)を務めた。専門は公共政策に関わる実践的人文社会科学。著書には『コンプライアンスが日本を潰す』(扶桑社新書)、『強靭化の思想』、『プライマリー・バランス亡国論』(共に育鵬社)、『令和日本・再生計画 前内閣官房参与の救国の提言』(小学館新書)など多数。
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