日本国史【3】世界の神話の中でももっとも重要な記紀神話
神話と歴史をつなぐ考古学
和銅5(712)年に『古事記』が、養老4(720)年に『日本書紀』が完成します。戦後、この二書は『古事記』は天武天皇が天皇家の権力を、『日本書紀』は藤原家が摂政の権力を肯定するためにつくらせた偽書あるいは捏造された歴史書だと批判され、無視されてきました。二書を否定する人たちは、代わりに中国で四世紀に書かれた『魏志倭人伝』を使って日本の古代を論じようとしました。ところが、今日では『古事記』の編者である太安万侶の墓が発見される一方、卑弥呼や邪馬台国はその存在自体が疑われています。 この二書を比べると『古事記』では神代から推古天皇までの歴史が語られ、『日本書紀』は神代から持統天皇の時代までの歴史が書かれています。これ以降は『日本書紀』を第一の書として、六国史という形で国の歴史が年代別に書かれることになります。 また、『古事記』には物語の割合が多く、『日本書紀』には事実が記述される傾向があります。とはいえ推古天皇以前の時代には記録自体が文字として残っていませんから、『日本書紀』にもフィクション的な書き方がされている部分は多くあります。そのため『日本書紀』も不正確であり歴史の史料に値しないといって、高天原の時代はもちろん神武天皇の存在も含めてフィクションだと否定する意見もあります。 しかし、この二書は国家成立を目的として神話をつくったわけではありません。そこには外国の神話に共通するパターンがたくさん入っています。たとえば死んでしまった伊邪那美に会うために黄泉(よみ)の国に行った伊邪那岐が伊邪那美の「振り返ってはいけない」という忠告を聞かずに振り返ったために怒り狂った伊邪那美に追いかけられたというエピソード、因幡(いなば)の白兎の話、海幸彦・山幸彦の話などは、外国にある神話と非常によく似た要素が入っています。なぜそうなのかといえば、共通の神話のタイプをもつ民族あるいは人間の記憶が書き込まれていると考えられます。 それは天皇家を高め、正当化するためにつくられたエピソードでも神話でもないのです。太古、世界の各地から日本にやってきた人たちのもっていたそれぞれの地方の神話の記憶が織り込まれているのです。 私が日高見国の存在を唱えるのは、高天原という概念が宙に浮いたものとして、あるいは垂直方向にある天国の話としてつくられたフィクションであるという考え方を批判して、それが東国に住んでいた日本人の記憶の反映だと考えるからです。日本の神話は天津神と国津神を分けながらも結局、日高見国の記憶を反映したものなのです。そう見ていくと、神話と現実にある考古学的な発見が次々に合致していくことに気づきます。 そういう新しい歴史は神話を読み解くことと同時に、そこにある種の物語性を含めていくことによってつくられます。だから、鹿島と香取、鹿島と鹿児島、東(アヅマ)と薩摩(サツマ)といった言葉の連想が現実の歴史の中に組み込まれているのです。 『日本書紀』にはたくさんの注が入っています。「一書に曰く」(一説によれば)という形式で、場合によっては十も二十も注が出てきます。それは一つの出来事に対する人々の記憶がそれぞれ違うということを意味しますが、それらを比べていくと現実にあったと思われる歴史が透けて見えてきます。 同時代に二つの歴史書ができたことは、この時代の知的なレベルの高さ、歴史家の認識力の深さを感じさせるもので、多くの齟齬をあげてそれを否定するべきではありません。それどころか、世界の神話の中でももっとも重要な書として『古事記』と『日本書紀』を推薦したい気持ちでいっぱいです。 (出典=田中英道・著『日本国史』育鵬社) 田中英道(たなか・ひでみち) 昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本美術全史』(講談社)、『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『世界文化遺産から読み解く世界史』『日本の宗教 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史――世界最古の国の新しい物語』『日本が世界で輝く時代』(いずれも育鵬社)などがある。ハッシュタグ
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