港の整備が「まち」を作る: 小名浜の港湾イノベーション3

小名浜港の変遷─(1) 漁村から近代港湾へ

 小名浜が小さな漁村から近代港湾への第一歩を踏み出したきっかけは、明治・近代化の流れの中で開発された「常じょう磐ばん炭田」にある。  常磐炭田では豊富な石炭が得られたため、これを各地に輸送するために政府は小名浜港に石炭の積み出しのための公共埠頭を整備した。  この政府による港湾投資は、その後の企業誘致への契機をもたらすことになる。その重要な第一歩は、第二次大戦前夜の昭和14年の日本化成の工場立地であった。  いうまでもなく、そこが単なる漁村であったのなら、日本化成の立地はあり得なかったわけであるから、「政府による港湾投資」が民間投資による、小名浜港の初期イノベーションをもたらしたのである。  この日本化成の立地に伴って、関連企業の小名浜立地が促進されていくこととなる。さらには、日本化成は自らによる民間投資として、「鉄道インフラ」の整備も手がけることになり、この整備がさらにこの地の企業立地を促進することになる。

小名浜港の変遷─(2) 石炭「輸入」によるエネルギー基地化

 こうした小名浜の発展をさらに加速したのが、戦後の昭和32年、この地に整備された、火力発電所(常磐共同火力㈱・勿な 来こそ発電所)であった。  常磐炭田の石炭を利用した発電を行い、首都圏等に電力を供給することが目的であった。  そして、こうした小名浜の発展を後押ししたのが、昭和26 年の政府による「重要港湾」指定であり、昭和39年の「新産業都市」としての指定であった。  結果、小名浜港は、中央政府の資金援助によって港湾投資がさらに促され、さらに大きな港湾都市へと発展していく。その結果、この地に石油や金属鉱、そしてコンテナ等の輸出入、移出入のための埠頭が次々と整備され、化学や金属等の数々の工場が建設されていった。  ただしそうした小名浜港発展の過程において、世界のエネルギー環境は激変し、日本の石炭は国産から輸入ものへと大きく転換していった。そしてその流れの中で小名浜港発展の最大の契機をもたらした「常磐炭田」は衰退し、最終的に閉鎖されることになる。  もしもこの時、小名浜に関わる人々が何の工夫もせず、旧態依然の発想のまま日々のルーティンワークを続けているだけであったなら、小名浜港を支えた「常磐炭田」の衰退と閉鎖は、小名浜そのものの衰退を導いたに違いない。  しかし彼らは、常磐炭田の衰退や閉鎖に際して、小名浜港の質的な転換を図った。つまり、これまでの「常磐炭田からの石炭の積み出し」中心であった小名浜港を、今度は「石炭輸入のため」に活用し、整備していくことにしたのである。  その結果、小名浜港はさらに発展を遂げていくことになる。その「輸入石炭」をめがけて、広野火力発電所をはじめとした大小さまざまな火力発電所が周辺に整備されていくことになったからである。  折しも、首都圏の発展に伴ってさらなる電源供給が必要とされるなか、小名浜をはじめとした福島は、首都圏への電源供給地として大いに期待され、活用されていったのであり、この小名浜港の石炭輸入のための公共埠頭投資はまさに「渡りに船」の投資となった。  結果、小名浜港は、首都圏の電源供給にとって重大な意味を持つ港湾へと変質していくことになる。 藤井聡著『インフラ・イノベーション』(育鵬社刊より) 著者紹介。1968 年奈良県生まれ。京都大学大学院教授(都市社会工学専攻)。第2次安倍内閣で内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)を務めた。専門は公共政策に関わる実践的人文社会科学。著書には『コンプライアンスが日本を潰す』(扶桑社新書)、『強靭化の思想』、『プライマリー・バランス亡国論』(共に育鵬社)、『令和日本・再生計画 前内閣官房参与の救国の提言』(小学館新書)など多数。
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