日本の美仏を歩く(3)――千葉にあるおおらかな十一面観音

十一面観音・荘厳寺IMG_1699 香取市役所 spa

荘厳寺 十一面観音立像 重文 写真:香取市教育委員会

香取神宮とつながりのある「荘厳寺」

 荘厳寺は、千葉県の香取市にあります。ここに納められている『十一面観音』立像は、もともと名高い香取神宮別当寺、香取山金剛福寺に祀られていたものですが、明治時代の「廃仏毀釈」の際に、荘厳寺に移されたものです。像高は約3メートルもあり、千葉県で最古で最大の仏像の一つと言って良いでしょう。  香取神宮別当寺は、神社付きの神仏習合のお寺で、仏教の寺であっても香取神宮の影響が強いと考えられます。神社の神道は「共同宗教」で、仏教は「個人宗教」であり、両方が共存することによって日本人の精神を安定させているので、相互の影響は大きいのです(拙著『日本の文化本当は何がすごいのか』育鵬社、参照)。  香取神宮は、「神宮」の名がついている通り、昔から鹿島神宮とともに、皇室から大事にされていた伝統があります。もっとも、その割には、鹿島神宮ほど知られていません。ここで、由来について少し説明しましょう。 香取神宮に祀られている神は、経津主神と言います。伊弉諾神、伊弉冉神の子、迦具土の神(火神)の子孫で、天照大神が従兄弟筋です。したがって大変古く、神武天皇以前の神代の剣の神です。  経津主神は、『古事記』や『日本書記』に書かれているように、高天原の天照大神から、出雲の中津国の大国主神に「国譲り」のために、建御雷神とともに派遣され、その任を果たす神でした。    こうした東国の神が、西の出雲に出掛けて行くということは、この辺に大きな勢力があり、その強さが認められて、この神が天照大神の命で、わざわざ向かったということになります。鹿島神宮の建御雷神とともに、関東が大きな力を持っていたことの証拠にもなります。

廃仏毀釈を生き抜いた仏像

 ご存じのように、神社では、神を神像として形にして拝みません。ですから香取神宮には、経津主神の像はありません。しかし、仏教が来てから、仏像にその土地の思いを伝えるようになったと言うことができます。奈良時代に神宮寺という、神道の神を祀る寺ができました。香取神宮の古絵図を見ると、本殿の後方に「一切経」や「大般若経」を納めていた宝形造の経堂(経蔵)や、拝殿左側には『愛染明王』像を宮に安置し、夏経法楽を行っていた愛染堂(安居堂)などの仏教の寺院があったことが分かります。    しかし、明治元(1868)年に、新政府が神仏習合の慣習を禁止し、「神仏分離令」(神仏判然令)を施行します。これが契機となって、日本各地で仏教施設を破壊するなどの廃仏毀釈運動が起こりました。このため、香取神宮でも同年11月、境内にあった愛染堂と経堂が、神職などによって取り壊され、本殿の仏像は取り除かれて売却されてしまったのです。    そして、ほぼ同じ時期に宮中台にあった仏像も、ことごとく取り壊されてしまったといいます。それでも本殿の「懸仏」四躯は、市中で売られていたものを、地元佐原の篤志家が、明治2(1869)年に買い戻し、牧野の観福寺に納めました。現在、これらは国の重要文化財に指定されています。  本尊の『十一面観音』立像も、野ざらしになっていたものを、市内横宿大和屋・佐藤氏が譲り受け、荘厳寺に寄進したのです。像の頭部の十一面は、その間に引き抜かれ、天衣の一部や水瓶の蓮華等も失われたといいます。  荘厳寺『十一面観音』立像の襞は翻波式と言われ、藤原時代の特徴の一つで、この仏像そのものの古さを物語っています。全体に腕、胴が長く、素朴な姿をしていると言ってよいでしょう。台座と舟形光背は江戸期のものです。

おおらかで力強い『十一面観音』立像

 荘厳寺の『十一面観音』立像の良さは、顔の清々しさ、全体の溌剌とした姿にあります。それが、香取神宮の経津主神がどのように反映させているのか分かりませんが、少なくともその力強さを示しているようです。欅の一本造りで、像高が3.25メートルもあります。作者は不詳ですが、寺伝には「春日の仏師」と書かれています。    この「春日の仏師」という言葉は、大変示唆的です。というのも、春日大社が関係していることを示しているからです。奈良の春日大社は、8世紀、奈良時代に藤原氏によって建立されました。その藤原氏の藤原という名は、実を言うと、この香取神宮を司る香取氏、大中臣氏の子孫である中臣鎌足が「大化の改新」の後、天智天皇により与えられた名前です。    つまり、鹿で有名な奈良県の春日神社は、この香取神宮と鹿島神宮に由来するものなのです。そして、それ以後、摂政・関白の地位を得る名高い藤原家が、まさにこの鹿島、香取の中臣家から出たと言ってよいのです。  「春日の仏師」と言うと、神社に仏師は関係がないと思われるかもしれません。しかし、すでに述べたように、日本は神仏習合の歴史を持っています。春日大社の隣には有名な興福寺があり、これもまた藤原氏の氏寺で、この両寺社は一体になっているのです。  土地とか自然を司るのが神社(共同宗教)であり、人間をあつかうのが寺院(個人宗教)と言えばよいでしょう。「春日の仏師」とは、その興福寺の仏師であったと考えられます。そこから言っても、この溌剌とした顔や、豊かな頬の肉付きなど、興福寺が盛んであった天平仏を思い起こさせます。    藤原時代のものですが、天平時代に近いとも考えられるほどです。それは、この像のおおらかさがあるからです。いずれにせよ『十一面観音』立像は、香取神宮と関係のある東国の仏像の力強さを伝える像として、堂々と荘厳寺に立っています。 (出典:田中英道・著『日本の美仏50選』育鵬社) 田中英道(たなか・ひでみち) 昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『日本国史』、最新刊『ユダヤ人埴輪があった!』(いずれも育鵬社)などがある。
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