日本の美仏を歩く(5)――袋を背負って訪れる大黒天像

木造大黒天立像(太宰府・観世音寺)SPA

観世音寺 大黒天立像 重文 写真:太宰府市教育委員会

観世音寺の仏像

 九州・福岡県の太宰府市に観世音寺という古刹があるのをご存じでしょう。7世紀の飛鳥時代、天智天皇の母である斉明(皇極)天皇のご冥福を祈って創建された寺で、完成したのは天平18(746)年と言われています。当時、その規模は大きく、西日本では随一を誇っていました。  七堂伽藍を配し、僧侶の受戒の儀式を行う戒壇院として、奈良県の東大寺、栃木県・下野の薬師寺と並ぶ重要な寺でした。しかし、11世紀に起こった再三の火災や台風で、創建当時の諸堂はみな消失してしまいました。それ以降に造られた仏像だけが宝蔵に数多く残っています。  5メートル以上もある『不空羂索観音』像は、貞応元(1222)年に、僧琳厳という仏師が造ったものです。  もともと天平の時代に塑像(前年に倒れてしまったもの)を模して造られた「古典様式」の素晴らしい像です。『馬頭観音』像も5メートルあり、三面六臂の雄大な忿怒の像として、私たちを睥睨しています。造ったのは大仏師・眞快で、この辺にも優れた彫刻家がいたことを証拠立てています。  『聖観音』像も、しっかりとしたもので、定朝(平安時代に活躍した仏師。父は康尚)と並ぶ仏師が存在していたことを示しています。ほかにも触れるべき仏像はあるのですが、今回は『大黒天』立像を取り上げましょう。

人間味あふれる姿の大黒天

 『大黒天』立像は不思議な像で、仏教の像とは思えないような人間性を持っています。中年の男性が体をやや前かがみにして、袋を背負って立っているような姿なのです。右手を軽く腰に当てて拳を握り、浅い沓をはいて、右足をわずかに踏み出して立っています。このような姿では、大黒天であることも、僧侶や公家の肖像であることも分かりません。等身大の大きさで、あたかも鎌倉時代の一般の人の肖像のように見えます。    大黒天と言えば、七福神の一人として、にこやかに笑い、大きな袋を抱えて太っている印象が強いと思いますが、これは顔をしかめており、決して笑っていませんし、太ってもいません。逆に、陰気な顔でげっそりした袋を背負って、財産を取られて深刻に悩んでいる、というふうにも見えます。  なぜ、こんな姿の像が造られたのでしょうか。  事典には「大黒天はインドで生まれた」と書いてあります。ヒンズー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラという神が仏教に取り入れられて、「マハー」の「偉大」を意味する言葉と、「カーラ」の「時」、あるいは「暗黒」を意味する言葉が結び付いて「大黒天」になったとされています。なるほど確かに、青黒い身体に忿怒の相を表しています。  「戦闘・財福・冥府」という3つの性格を持っていたと言われ、恐ろしい面と、優しい面とを併せ持つ神だったようです。仏教に入ると、初期においてはシヴァ神と同様に、4本の手にそれぞれ武器を持って立つ武闘の神であり、また三面六臂の忿怒像でもありました。そして、「冥府の神」という性格と糧食を司る神としての性格もあって、厨房に祀られたりしたのです。この像の深刻な姿は、こういう説明で理解できます。  密教の教えとともに、日本に入ると、「天部」と言われる仏教の守護神の一人となり、特に財福の神として祀られることが多くなりました。富貴を授ける福の神としての性格を併せ持つようになり、それで袋を背負うようになったのです。また、大黒天は、大国に通じることから、大国主命と考えられていました。特に室町時代以後は、その考えが強くなり、珍しく神道の神の姿として人気があったのです。

神仏が融合した像

 観世音寺の『大黒天』立像はこの福の神の系統ですが、しかしまだ古い要素を残しており、顔は忿怒の像になっています。耳の上には、焔髪が立っています。その古風な頭巾といい、服といい、何か神像を思わせます。なぜなら、体部の肉づきは穏やかで、衣文も浅く薄く刻まれているので、総じて神像を思わせるのです。この『大黒天』立像は平安中期の作ですが、その先駆と言えるのではないでしょうか。  神道では暗黙の「偶像崇拝禁止」があるため、天照大神をはじめ、須佐之男命などの像は造られていません。だから、伊弉諾命、伊弉冉命がどんな姿をしているのか、絵師たちは誰も描かなかったのです。  神像と呼ばれる像もありますが、誰を表しているのか明確には分かりません。それは、神の姿は描かない、という神を敬う気持ちがあったからですが、実を言えば、それらの気持ちは皆、潜在的に仏像の中に込められたと考えられるのです。    その表れの一つが、この『大黒天』立像であったのです。大国主命は、須佐之男命の子とも孫とも言われ、大物主命など別名を持つ神です。『日本神話』(古事記)にある、因幡の白兎伝説に登場するのでご存じの方も多いでしょう。『出雲国・風土記』では天地創造神とされており、大変重要な神様です。『万葉集』や『古語拾遺』などでは、国土経営、農作物の栽培などを教えたという伝承もあります。  おそらく、観世音寺の『大黒天』立像は、そうした大国主命の姿が隠れていると考えられるようです。袋を背負っているのは、因幡の白兎の伝説において、八十神たちの荷物を入れた袋と言えますし、表情は、忿怒と言うより慈愛と苦慮の表情が見てとれます。そして、ほかの大黒天に見られる要素を、できるだけ捨象した姿をしており、神仏融合の彫刻の優れた例として、観世音寺の『大黒天』立像を見ることができるのです。 (出典:田中英道・著『日本の美仏50選』育鵬社) 田中英道(たなか・ひでみち) 昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『日本国史』、最新刊『ユダヤ人埴輪があった!』(いずれも育鵬社)などがある。
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