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反日芸人!? 8.6秒バズーカーを陰で操っていると言われた男が真相を激白

 ラッスンゴレライで一躍“時の人”となったお笑いコンビ8.6秒バズーカー。  しかし、ラッスンゴレライという言葉、コンビの名前、さらには彼らのネタである「ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん」すらも反日的言動を示唆するものだとして、炎上。言われもなき中傷に晒された。  ことの真相について、本人たちはSPA!6/2号「エッジな人々」で語っているのでここでは割愛するが、この2人を陰で操る男として名指しされた人物がいることはご存じだろうか?  漫才作家・本多正識……中田カウス・ボタンやオール阪神・巨人ら関西漫才界の重鎮たちの漫才台本を手がけ、今はよしもとNSCでお笑い芸人たちの指導を行い、育て上げた芸人は数知れず、ナインティナインの岡村隆史からキングコングの西野亮廣、南海キャンディーズの山里亮太らが師と仰ぐ。扶桑社からも2014年に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』を上梓し、お笑い芸人の素顔や芸人の世界の厳しさを赤裸々に描き下ろし人気を博したNSC伝説の講師である。  ラッスンゴレライ誕生の秘話から炎上、8.6秒バズーカーを“陰で操る男”が全てを語った。 ◆8.6秒バズーカーの人気はスマホとyoutubeが支えている ――8.6秒バズーカーの2人との出会いについて教えてください。 本多「彼らはNSCの36期だったかな。僕が講師で彼らは生徒ですね」
本多正識

NSCで授業をする本多氏。8.6秒バズーカーのネタを最初に見た感想は「よくわからん」だったとか

――ラッスンゴレライで一躍ブレイクし、見事“成功者”になりました。 本多「彼らが成功したのはyoutubeがあったから。それとスマホがあったから。いつでもどこでも皆で見られるから、中学生も小学生も関係なく、見てすぐ覚える。それで広まったから、スマホがなければ彼らはいなかったでしょうね。まぁ、言うなればスマホ芸人です」 ――スマホ芸人ですか……なんとなく一発屋な響きを感じますね。 本多「まだ彼らは頑張っていますけどね、かれらは一発屋じゃなく“一瞬屋”になる恐れがあるなぁと。これからは一瞬屋が生まれる土壌がスマホの出現でできたなぁと思いましたね。あ、おもろいな、このフレーズっていうのが出てくるとあっという間に広まる。でも、次にまたおもろいフレーズが出てきたらそっちに乗り移ってしまう。だから、お前ら次どうすんの?って」 ――youtubeなどでは素人も手軽にネタやおもしろ動画を投稿しています。 本多「そういう意味じゃ素人とプロの垣根はどんどんなくなってきてるのかもしれないですね。おもろいヤツがいる?じゃあちょっと見てやろうというのが積み重なって何十万、何百万の再生回数にね。それがあるから、全国津々浦々の小中学生がラッスンゴレライを口にするようになったんでしょう」 ――そんな全国の子供たちから絶大な支持を集めるラッスンゴレライ、8.6秒バズーカーですが、本多さんは初めて見たとき、どう思われましたか? 本多「2013年6月から彼らのネタは見てます。僕は基本的に誰にでも好きなことやれって言ってるんで、やりたいならやれと。でも、面白いとは思わなかった。ようわからんと思いましたね(苦笑)。『僕はようわからん。面白いとは思わんけど、君らが面白いと思うならやってみ。そのかわりやると決めたら、衣装も揃えて、ベルトもサングラスも靴も揃えて、トータルで綺麗にしてオリラジのように動きのキレをよくしてやり』と授業の時に言ったらしいんですよ」 ――完全に生みの親じゃないですか。 本多「2人からは、『本多先生に背中押してもらいました』って今年の1月に言われたんですけど、そういうことはもっとおっきい声で言えと(苦笑)」 ――ライブも盛況なようです。 本多「一年目でなんばグランド花月で単独やって……単独て、何のネタやんねんって(苦笑)。でも、劇場も8.6秒バズーカーが出ればお客さん入るのは事実ですしね。本当はね、彼らとしては他の違うネタもしたいようですけど、僕が言うのは『違うネタやるのはいいけど、どっかでラッスンゴレライのフレーズを入れてくれ。お客さんは君らを“生で観た”ってことを求めてるんだよ』と。全然違うネタの中で突然ラッスンゴレライ入れて『ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん、今日はそのネタちゃいますやん』とかね。それでもお客さんにとったら“ラッスンゴレライ生で観たよ!”ってなるんですよ」 ◆反日炎上騒動の煽りで黒幕にされてしまった ――そんな大人気の8.6秒バズーカーですが、なぜか大炎上して反日芸人というレッテルまで貼られてしまいました。もちろん、本人たちは否定しています。 本多「最初炎上してると聞いたときは、またなんか余計なこと言ったのか?と思ったんですが、よくよく話を聞いていると『よくもまぁ、そんなことまで考えつくなぁ』と(苦笑)」 ――過去の言動から、86という数字と原爆投下、ラッスンゴレライは原爆投下、キメのポーズと平和公園の銅像のポーズ、ちょっと待ってというネタは爆撃機と、かなり想像豊かなイチャモンに思えます。 本多「いや、これ、もう、そんなんなんでもありやんと。それでネットでどんな反応かと思っていろいろ見てたら、僕が黒幕になってまして……」 ――え? 黒幕ですか? 本多「そう。『8.6秒バズーカーの2人を陰で操る黒幕は本多正識っていう奴らしい…』って書いてあったんですよ(笑)。黒幕じゃなくて、講師やって!」 ――この件について吉本興業は威力業務妨害など、あらゆる手立てを尽くすと発表しました。
本多正識

キングオブコントの審査員なども歴任し、お笑い界では知らぬ者はいないとさえ言われる本多氏。素顔はとても気さくな方なのだが、まさか炎上した8.6秒バズーカーの黒幕にされるとは……

本多「こういうのはね、放っておくと知らない人は『あの2人はそういうヤツらなんや』って勝手に思い込んでしまうんですよ。だからどっかでガツンと言わないとダメやろなぁ~って思ってたとこだったんで、吉本の対応は間違ってないと思いますよ。でもね、告訴する言うたらまた書き込みで『本多がどう出るか気になるわ』って。だから僕は何もやってぇへんし、黒幕でもないっちゅうねん(笑)僕も彼らも日本大好きです!」 ――ほかにもそんな意味じゃないだろ……というようなことで炎上している芸人もいますね。 本多「バンビーノのネタの“ダンソン”は、男尊女卑の……とかね。よう考えますわ。僕、今回の一件でこんな言葉を思い出したんですよ。『どんな鳥も想像力よりも高くは飛べない』って寺山修司さんの言葉なんですけどね。事実はとんでもない方向に飛んでくもんだと」 ――今回の一件は、スマホ芸人の出現、今後8.6秒バズーカーに続く若手芸人にとっては、無関係ではない話に思えます。 本多「8.6秒バズーカーのおかげでね、授業で教えることが一つ増えました。芸人は何が理由で売れるかもわからんけど、何が理由で叩かれるかもしらんと…」 【本多正識】 ’58年・大阪府高槻市出身。漫才作家。NSC(吉本総合芸能学院)講師。’79年、ラジオ大阪『Wヤングの素人漫才道場』のコーナーに漫才台本を投稿し、11本連続で漫才台本が採用され、それをきっかけに漫才作家を志す。’84年、オール阪神・巨人の台本を執筆しブレーンの1人となる。’90年NSC、’08年YCC(よしもとクリエイティブカレッジ)講師就任。’91年、よみうりテレビが主催する上方お笑い大賞・秋田實賞を受賞。M-1グランプリ審査員、キング・オブ・コント審査員などを歴任。主な著書に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』(扶桑社)などがある
吉本芸人に学ぶ 生き残る力

NSC講師として1万人以上の生徒を送り出した伝説の講師が教え子たちに教えた生き抜く術とは

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