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大谷翔平はどの球団に行けばいいのか? 最初の舞台はナ・リーグの球団!?

移籍のキーマンは“二刀流をつくった男”

 日本で実績を残したトップ選手にとってメジャー移籍3年目は鬼門だ。レッドソックスと6年契約した松坂大輔は15勝、18勝と2桁勝利を記録した直後の3年目以降は別人のように苦しんだ。ダルビッシュ有も16勝、13勝を挙げたのちの3年目の夏、ケガで長期離脱を強いられた。あのイチローでさえ、3年目の打率は.310と過去を大きく下回った。
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写真/時事通信社

「これまでの日本人選手と違って大谷は若く、過去の日本人選手にはない長期にわたるキャリアピーク期をつくれる。そのプログラムを設計するアーキテクチャー(設計士)も必要だね」(中堅スカウト)  そうなると俄然注目すべき球団が見えてきた。日ハム時代に大谷翔平の二刀流を球団、本人とともに築いてきたトレーニングコーチ・中垣征一郎氏の存在だ。中垣氏は今季、日ハムからサンディエゴ・パドレスに転籍し、現在はスポーツ医学ディレクターとしてメジャーからマイナーまで組織全体の大改革に着手している。「ものすごく壮大なスケールの話」(中垣氏)に心を動かされ、日ハムからの移籍を決心した中垣氏は、ダルビッシュの1年目にも共に海を渡って、稀代の右腕をサポートした勇士でもある。  さらにパドレスは、野茂英雄、斎藤隆両氏をフロントスタッフに迎え、傘下トリプルAには大塚晶文投手コーチがいる。直近2年間の日ハムの春季アメリカキャンプはパドレスの施設で行われた。冒頭のベテランスカウトが“予言”する「投手が打席に立つ」ナ・リーグ所属だ。理想が揃っている。 「上達する唯一の方法は、常に自分より上手な選手、強い選手と戦い続けることだ」  マイナー球場のロッカーで時々目にするスローガンには、暗に「うまくなりたいヤツはメジャーに上がれ。それが最良の上達方法だ」というエールが込められている。プロ1年目の春のキャンプでわずか1本しかバットを折らなかった大谷翔平が選ぶ移籍先はどの球団か。 <夢を貫いた! 大谷翔平とメジャー事件簿> ’12年10月 日ハムが強行ドラフト指名! メジャーへの強い憧れを表明し、ドラフト指名の遠慮を願ったが叶わず
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写真/時事通信社

’12年12月 ダルの系譜、背番号「11」で入団 ’05~’11年の7年で93勝を挙げたダルビッシュの後継者として日ハム入団 ’13年5月 プロ1年目は3勝、3本 プロ初登板、初先発。新人投手の初登板として史上最速の157kmを計測 ’14年9月 B・ルース以来の2桁勝利&本塁打 7日のオリックス戦で10号HRを放ちNPB史上初の2桁本塁打、2桁勝利を達成 ’16年7月 マンガのようなワンマンショー 3日のソフトバンク戦で「1番・投手」として先発。1回表初球を先頭打者本塁打&8回零封で勝利投手 ’16年9月 圧巻! 2度目の2桁勝利&本塁打 28日の西武戦で9回1安打15奪三振。10勝目を挙げ、NPB史上初の「10勝、100安打、20本塁打」を達成 ’16年11月 MLBに激震! タンパリング疑惑 侍ジャパンの強化試合でドジャース主力選手が大谷の元に歩み寄って記念撮影。別れ際にドジャースグッズの詰まったお土産を手渡し、のちにタンパリング疑惑に発展 ’17年9月 投手? 打者? 評価分かれた登板 22日、ソフトバンク戦に先発。メジャー17球団から過去最多となる27人のメジャースカウトが集結。2勝目を挙げるも本人は内容に不満 ’17年10月 ラストゲームは「エースで4番」 本拠地最終戦でプロ入り初の「4番・投手」で先発。最終登板を完封で締めくくる 取材・文/小島克典(スポカルラボ) 写真/時事通信社 ― 大谷翔平はどの球団に行けばいいのか ―
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