自分の実力を勘違いして大手企業から独立。転落した元エリートたち
だれもがうらやむような大手企業に勤める人が、さらなるステップを求めて独立したり、フリーランスに転向する例は枚挙にいとまがない。もちろん、成功できれば言うことはないが、大手企業で自分の実力を「勘違い」してしまった結果、大きく年収を落としてしまうこともある。それどころか、やりたかった仕事さえもできなくなってしまうケースも……。
青いストライプのスーツ姿にサテン地の赤ネクタイという「エリートビジネスマンスタイル」で現れたのは、元超大手商社社員で、現在は主に中国・東南アジアエリアから「雑貨」などの輸入・卸し業を営む末次さん(仮名・30代後半)。
ツーブロックのヘアスタイルにべっ甲ぶちのメガネという出で立ちからは「儲かっている」雰囲気がプンプン漂っているが……。
「はっきり言って後悔しかしていません。20代後半で約1100万円あった年収は、今では600万。取引先の接待などの”経費”、わずかにいる従業員との食事にかかる“福利厚生費”に関してはほとんどポケットマネーで支払っているので、感覚的には年収400万を下回っています。品川の高級賃貸タワマンはすでに引き払い、今では五反田のワンルームマンション住まいです」
その派手な見た目とは裏腹に、か細い声でこう話す末次さん。果たして彼に何があったのか。
同じく商社勤務だった父親の仕事の都合で、小中学生時代を南米で過ごした後、帰国後は早稲田系列の高校に進学。一橋大学を卒業後、大手商社に就職した。英語と日本語はもちろんのこと、スペイン語も自在に操るトリリンガル。新卒時点で、商社のほかに超大手運輸系企業、超大手保険会社の内定も得ていたというから、誰もがうらやむ「エリート街道」を突き進み、今頃は「勝ち組」人生を謳歌しているはずだった。だが……。
「はっきり言ってナメてましたね。三か国語喋れる帰国子女、となればどこでもちやほやしてくれました。勉強も昔から嫌いではなかったし、就職活動も余裕、外国人とのコミュニケーションに慣れているので、日本人は“ちょろい”と思っていました。就職後も、グイグイ行動する私のことを、みんなが評価してくれた。地位も年収も上がり、勘違いしてしまったんです」
スペイン語が堪能であったことから、念願の南米エリア担当に抜擢されるといよいよその頭角を現し、コーヒー豆に布織物、フルーツの輸入など大型契約案件を次々と成立させた。南米の支社へ異動する話も持ち上がり、「もっとバリバリ働きたい」と考えていた矢先、会社から通告されたのは、九州地方の小さな支社への転勤という、末次さんが全く望まない命令だった。
「やることはやってきたし、適材適所で私の願望は受け入れられると信じ切っていました。ですが、大企業の理屈には敵いません。九州に赴任はしましたが、やる気が出なくなり、会社ともめて数か月後には退社。もう実力でやるしかない、実力でなら勝負できる、そう踏んで独立したのです」
貯金の2000万を原資に、さっそく南米エリアの旧知の企業に営業をかけた末次さんだったが、法人設立半年後には資金繰りがショート。事業を手伝ってもらっていた高校時代の同級生には月に10万円支払うことすらままならなくなり、自家用車、株券などを売り払うものの、すでに自転車操業状態に陥っていた。
「かつて取引のあった南米の企業が未払いを連発したのです。今までは“大手商社”の肩書があったから、あっちもしっかり対応してくれていましたが、私個人となるとすっかり手のひらを返したかのようになってしまい……。以前は菓子折りを持って頭を下げてきた日本国内の企業でさえ、私個人とは全く仕事をしてくれない。私自身、仕事ができないとは思っていませんが、そうした日本的な価値観や、ビジネス上の上下関係という理屈にあぐらをかいて仕事をしていた自分、という現実を見せつけられました」
勢いで会社を辞めた結果、年収が大幅ダウンした人たち
大手商社から独立後、“肩書き”の壁に…
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