イチローが引退会見で語り尽くせなかったこと
打席に立ったイチローは誰の目から見てもバットを振れていなかった(2試合で5打数無安打1四球)。それでもイチローは全力でプレーし、打撃だけでなく守備でも走塁でも、最後までベストを尽くした。
万雷の拍手に包まれた現役最後の打席は、変化球に足元を崩されながら、かろうじてファールで凌いで喰らいつく、見ていて切なさすら覚える打席だった。試合後の会見で明かされた今年18歳になる愛犬「一弓(いっきゅう)」の生きざまともシンクロした。
「さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、オレがんばらなきゃなと。ジョークとかではなくて、本当にそう思いました」
実際、一弓に自分を重ねるように、イチローは最後の打席まで、懸命にバットを振り続けていた。
日本で9年、アメリカで19年、計28年間の現役生活に別れを告げたイチローは、野球人生で幾多の記録と栄光を手に入れた。我々は時に鼓舞され、時に彼の姿に自らを重ね、勇気をもらってきた。
外来語としてすっかり定着した「ルーティン」という言葉などは、イチローが打席に向かう直前にスタンバイするネクストサークルでの一挙手一投足や、舞台裏でのたゆまぬ努力と意思で準備する姿勢が、日本社会に受け入れられたものと筆者は思っている。
「子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶った最初の2年。18、19の頃は一軍に行ったり来たり。(中略)そういう状態でやっている野球はけっこう楽しかったんですよ」
野球人生を振り返って楽しかった瞬間は?という趣旨の質問を受けた際、イチローは「ないですね」と言い切り、こう続けた。自身の過去をこんなふうに引退会見で話すアスリートは記憶にない。先人たちのほとんどは、「好きなことを仕事にできて嬉しかった」という類いのコメントを発する。
プロ3年目にブレイクした後、四半世紀に及ぶイチローと野球の関係は、数字や記録を追いかけ、追われ続けた25年だった。純粋に「楽しめなかった」のは偽らざる本音だろう。数字の呪縛など、メディアは体のいい単語で消化するが、イチローと野球が相思相愛の関係にあったのなら、彼の安打数はさらに何本か、何十本か、上積みされていたかもしれない。
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— Seattle Mariners (@Mariners) 2019年3月26日
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野球人生で楽しかった瞬間は「ないですね」
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