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純烈リーダー・酒井一圭が騒動を語る「記者会見前の3日間はひたすら寝ました」

 子役として芸能界デビューし、青年期は戦隊ヒーローもので活躍したが、その後は長い雌伏の時を刻む「マッスル」のプロレスラー、ロフトプラスワンのブッキングマネジャーなどさまざまな仕事で糊口をしのぎつつ、’07年、ムード歌謡グループ「純烈」を結成。地道に全国の健康ランドを回り、苦節12年。  昨年、ついに『紅白歌合戦』出場という夢を叶えた。しかしその直後、スキャンダルでメンバーが脱退というグループ最大のピンチに見舞われ、世間の注目を集めることに。あのとき、酒井はリーダーとして、プロデューサーとして「純烈」をどう復活させたのか? その手腕と胸の内に迫る。

あれから半年――。純烈を終わらせないために僕がしたこと

――メンバーの不祥事が公になり、謝罪会見を行ってから半年がたとうとしています。 酒井:2月に「マッスル」というプロレスのイベントがあって、それには紅白出場が決まる前から「絶対に出るから!」って言っていたんですけど、ああいう形でネタにしてもらいお客さんにも喜んでもらった上で終えることができた。バックステージでみんなと握手するうちに、本当にありがたかったなと思いましたよね。謝罪会見直後に前川清さんの50周年記念公演(明治座)に出させていただいたときなんか、稽古場の外にマスコミが待ち構えている状況でしたからね。 ――かつて携わった時期もあったプロレスに救いを求めた部分はあったんでしょうか。 酒井:マッスルのほうこそ純烈を出さないという選択があったはずなんです。でもマッスルを主宰するスーパー・ササダンゴ・マシン(マッスル坂井)は明治座に見にきてくれて、いじり方というか純烈をどう扱えば、お客さんや世間がこう受け取るという見極めをしていたんだと思います。そこは信頼関係がありましたから、僕らとしては「ここまでやってくれるの!?」という思いでしたよね。その結果、僕らだけが救われたのではなく、お客さんにとってもどんよりと漂っていたものが晴れてハッピーになれた。あれこそプロレスの力だなと思いました。 ――その意味で前川清さんも素晴らしいいじり方をしてくださいました。 酒井:明治座のお芝居で僕らが登場したときに「1、2、3、4……あれ? もう一人が出てこねえな」みたいなことをやってくれるんですよね。あの公演のあと、前川さん何ておっしゃったと思います?「明治座、面白かったなぁ。そりゃあ大変なこともあったけど、なかなか経験できないことをやれて俺も楽しかったんだよ。そのあとにやった公演がお客さん全然来なくてさ。だからまた一緒にやってくれよ。それでよかったら……また事件起こしてくれな!」って。まさに前川節なんですよね。 ――それはグッときますね。マッスルも前川さんもネタにすることで「不謹慎だ」「面白おかしいものにしていいのか」などと声を浴びせられるリスクがあるわけじゃないですか。 酒井:そう。それでもやってくれるんです。人間の行動や世の中の流れのような普遍的なものと、今新しく世の中で起きていることをキャッチした上で体の角度をキッチリと間違うことなく変えているんですよ。身のこなしがすごいと思います。
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純烈結成のきっかけは「夢に現れた前川清」
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表紙の人/ 小芝風花

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