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コブクロ小渕の国歌独唱に笑撃はしる。君が代は歌いにくい?

歌いにくさも「君が代」の魔力

 ほかにも「君が代」の“迷演”は枚挙にいとまがない。聞く者にここまで妙な緊張感を与える国歌もないだろう。では、なぜこうしたことが起きてしまうのだろうか。 日本国旗  その原因を指摘していたのが、唱歌「夏の思い出」や「雪の降るまちを」で知られる、作曲家の中田喜直(1923-2000)だ。国旗と国歌の法制化に揺れていた平成11年(1999年)、参考人として国会に招致された中田は、そもそも詞とメロディーが一致せず、間延びしてしまう「君が代」の問題点を、次のように答弁している。 <「君が代は」と歌わなきゃいけないのに、「きみがあよーわ」、それから「ちよにいいやち よにさざれ」、さざれで切れちゃうんですね。「いしのいわおとなーりて、こけのむうすうまーああで」、こういう歌ですから間延びしているんですね。> (衆議院会議録情報 第145回国会 内閣委員会 第12号より)  つまり、歌詞をきちんと理解、納得できるような音楽構成になっていない点こそが、「君が代」の歌いづらさ、定着のしづらさだと分析しているのである。これは調性の取りにくさ以上に、本質的な指摘だろう。  そう考えると、ことさらにミスを責め立てるのは、酷な気もしてくる。ファルセット小渕、絶唱堀内、回避系太志、劇場型森友。いずれもプロの歌手としては落第点だが、エンターテイナーとしては満点以上の爪痕を残してきた。「君が代」のたびにハプニングを期待してしまう意地悪な視聴者としては、彼らの勇気にエールを送りたい。  なんとも厄介な国歌だが、それも含めて“魔曲”の魅力としておこうか。 <文/石黒隆之>
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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