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『いだてん』徳井の熱演は、ポリコレ優先のドラマを変えられるか

コンプラ的判断での内容変更に一石を投じた?

 根性論、精神論、絶対的指導者の洗脳、過酷な練習……過去には時代の空気で許されていたことが、現代では非常識となっている。たしかに今は暴力やパワハラなどはどんな理由があっても許されるものではない。  しかし、『いだてん』では(フィクションではあるにせよ)世論に配慮しすぎて事実をねじ曲げたり、「時代的なもの」と安易に処理しなかった。鬼の大松の過酷で厳しいさまを、問題提起も含めそのまま描き、結果、感動を呼ぶシーンの伏線のひとつになった。  また、スパルタからの成功を描いても、礼賛しているように見えないのは、監督の思いや選手の意志や双方の絆を丁寧に描いたからだろう。  このことは、何事もいっしょくたに「コンプラ案件だ」「虐待だ」「スパルタ擁護だ」となるポリコレ重視の現代の論調に、一石を投じているのではないだろうか。 ※コンプラ=コンプライアンス(法令遵守) ポリコレ=ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性。差別や偏見を含む表現はするべきではない、という態度)

忖度ではない、現代日本への皮肉に満ちた『いだてん』

 また、現在活動自粛中の徳井義実を、多少の場面カットはあれどそのまま出演継続させ、このような感動をもたらしたことも、ある意味、出演者の不祥事によって作品が放映中止になったり、お蔵入りになったりすることへの結果的に皮肉になっているのかもしれない。  放映開始前までは、一部で「東京五輪2020に向けての国への忖度ドラマ」と揶揄されたこともあったが、実際は忖度どころか、来年の東京五輪や現在の日本に向けての皮肉とも取れる表現も数々見受けられる。  批判、低視聴率、出演者の不祥事、コンプラへの配慮……いくつもの問題に襲われながらも、これだけの感動を私たちに与えつづけている『いだてん』。  最終回に向けて大きくなってきた称賛の声は、脚本・宮藤官九郎をはじめとする制作者たちの素晴らしい手腕だけでなく、熱意と愛情のたまものと言っていいだろう。 <文/小政りょう>
映画・テレビの制作会社等に出入りもするライター。趣味は陸上競技観戦
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