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みのもんた、波瀾万丈すぎる芸能人生 快進撃から転落、引退まで

文化放送を退職して父の会社に就職、フリーからの快進撃

 東京ローカルのラジオ局「文化放送」に入社したみのは、深夜放送『セイ! ヤング』のパーソナリティーとして人気を博するも、番組終了後、営業に異動となる。それは、スポンサーの商品の販売促進運動のような仕事で、朝早くに車に商品を詰め込んで、スーパーを何軒も回って、売子として頭を下げた。みのは、35歳の時に文化放送を退社し、父の経営する会社に就職する。  芸能の仕事から1年ほど遠ざかった頃『プロ野球ニュース週末版』(フジテレビ系列)から声がかかる。土日だけキャスターの仕事をし、平日は父の仕事の営業職を続けた。結局その営業は10年間続けることになる。営業先のホテルのテレビで、同期の久米宏の活躍を羨ましく見ていたそうだ。  プロ野球ニュースは雨が降ると全試合が中止になってしまうため、その時はメジャーリーグの試合を放送した。そうなると放送の最初にVTRの振りをするだけで、仕事は終了。暇を持て余したみのは、酒を飲みながらメジャーの試合にアドリブでアテレコをして遊んでいた。それは下ネタばかりだったという。それを面白がったスタッフが使える部分だけ編集して『プロ野球ニュース』で流すと大人気となる。それが元となった『珍プレー好プレー』の特番は高視聴率を獲得する。 『おもいッきりテレビ』の司会者は、最初は山本コウタローが務めていた。みのは「あら見てたのね」というコーナーの担当。定点カメラを1カ所に設置して10分間回しっぱなしにして、その映像にひたすらナレーションをつけるという乱暴な企画だった。しかし山本コータローが選挙出馬のため番組を降りると、MCに抜擢される。  ここからみのもんたの快進撃が始まる。滑稽洒脱なトークがおばちゃんたちのハートを鷲掴み。おばちゃんたちを「お嬢さん」と呼ぶ軽薄さは、みのの面目躍如だった。盤石の人気を誇っていた裏番組の『笑っていいとも』(フジテレビ系列)の視聴率に追いついた事はテレビ界に衝撃を与えた。また今では情報番組では欠かせない「フリップめくり」を考案したのもこの番組だ。  数多いるテレビMCの中で、みのもんたは最もおしゃれだ。アメリカのテレビショーのコメディアンのようだ。映画『ジョーカー』で、ロバート・デ・ニーロが演じた、コメディアン出身のテレビ司会者は、まるでみのもんたのようだった。芸人出身のMCではこうはいくまい。先立たれた奥さんがスタイリストを務めていて、亡くなる時100通りのコーディネートを紙に書いて残してくれたそうだ。

セクハラ騒動、息子の不祥事で……

 型破りであるが故に、トラブルが多いのもまた、みのらしさだった。1991年に不倫騒動を起こす。同年に不倫騒動を起こした小島一慶が芸能界から消えていったのに対し、みののポジションは揺るがなかった。 自分をさらけ出して人前に立つ、みのもんたは強かった。自分をさらけ出すのは自信の表れで、だからこそ、歯に衣着せぬ物言いができるのだろう。  しかし、2013年に生放送中にアシスタントの女性の「お尻を触ろうとした」という前代未聞のセクハラ騒ぎが起る。それからわずか約2週間後に、テレビ局員の息子が窃盗未遂事件を起こし、みのは8年半続いた『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』(TBS系列)という「憧れだった」報道番組を降板する。息子の事件に関しては、本人には全く非がないものの、矢継早に事件が重なったことがトドメとなり、快進撃に終止符が打たれた。無責任な言い方だが、波瀾万丈なみのもんたの運命を俯瞰すると、妙に納得してしまう結末に思えてくる。  みのもんたは軽薄な芸風とは裏腹に、強烈なワーカホリックだ。タレントの他、件の父親が創業した会社の社長も続けている。睡眠時間は2時間。寝る間を削って働き、銀座通いを続けた。ケンミンSHOWの最終回で見たみのは、体力的な衰えが顕著だった。同じ日にテレビで見た、年齢が上の徳光和夫は肌つや良く元気いっぱいだった。トラブルの連続は神様からのドクターストップだったのかもしれない。  芸能界を引退しても銀座は引退しないと豪語する、みのもんた。コンプライアンスがうるさい現代では、みのもんたのような型破りで、おしゃれなテレビスターはもう生まれないだろう。
1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina
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