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京都・祇園の「夜の街」はコロナ前から詰んでいた!?“老舗の看板”で飯は食えず…

「ハシゴしよう」と思えず客足が遠のく

 勤務していたスナックはビルの3階にあり、エレベーターが無いビルだった。よって、客は3階まで階段を登らなくてはならない。  中高年や高齢者にとって、階段を3階ぶんも登るのはかなりの運動だ。酔った状態だと尚更だろう。実際、何人もの客たちから「エレベーターを付けてくれ」「行きたいと思っても、階段を考えると今度でいいやと思っちゃう」と言われた。  店のオーナー・ママも一時期は別の物件への移動を考えていたが、結局「40年近くこの店舗でやってきたから」と移転を諦めてしまった。  移転を検討していた時点でオーナー夫妻はすでに60代を超えていたため、気力の部分でも諦めがあったのかもしれない。  他店でも、経営者の高齢化を理由に昨年あたりから閉店が続いていた。  祇園にくる中高年~高齢者層のほとんどが、「せっかく祇園に行くんだからいくつかハシゴしよう」という考えだ。若者と違って体力的な面で気軽に出られない分、一度出る時に大いに楽しもうという考えなのだろう。  1店舗の為だけにわざわざ出てくる人は少なく、食事処も含めて2軒、3軒まわる人が多い。そういった層にとって、「馴染みの店が1軒無くなった」は大きい。  他店へ行った後にうちの店に来ていた客からも、「あそこが無くなったし、そっちに行くためだけに出るのはしんどい」と言われたことがある。  平時でさえそのような状況で、「呼んでも来てくれない」が増えていた。  コロナの流行が広がった際も、「夜の街クラスター」報道に加え、既往症持ちや高齢者が重症化しやすいとの報道が広がった結果、「客を呼びたくても呼べない」状況に陥ってしまった。  若年層の新規客獲得の困難さ・常連客の高齢化とそれに伴う店舗立地のデメリットが加速したところに、コロナによる追い打ち。  ここ数年は働いている側から見ても「もうダメかもしれない」と思いながらも続けてこられたが、今回ばかりは様々な要因が重なって閉店せざるを得なかった。

移転や縮小営業で乗り切る店も……

スナック 筆者が勤務していた店は小さいながらも、開店から40年、様々な芸能人やテレビの取材も訪れる有名店だった。  祇園で長く店をやっている人であれば、「ああ〇〇さんね」と誰もが知っているような店だ。  オーナー、特にママの人柄で持っていた店だったが、メインの客層が夜の街を避けると一気に経営が破綻した。  ラストの営業日前や当日には、今まで店を利用してくれていたたくさんの人が訪れてくれた。閉店の連絡を受けて何年かぶりに来たという人も多く、「この人数が毎日コンスタントに来てくれていれば……」と思わずにはいられなかった。  それでも、コロナの打撃が大きい中では経営も難しかっただろう。  現在、祇園の街は壊滅状態だ。息の根が止まっていると言ってもいい。馴染みの喫茶店目当てでたまに祇園を訪れるが、ビルの外階段で「もうウチもダメだよ、閉めるしかない」と悲痛の声を上げて電話する経営者を見たことがある。  行きつけの喫茶店にも近隣の店の経営者やホステスが訪れているが、皆が口を揃えて「お客さんが来ない」「閉店が決まった」とこぼしている。  その喫茶店すら、客層のほとんどが祇園界隈のホステスや店主たちであったため、近隣の店が潰れると客も減って経営が危うくなっている状態だ。  ホステスやその同伴客を相手にしていた飲食店も、軒並み短縮営業か閉業。
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祇園だけの問題ではない
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福岡県出身。フリーライター。龍谷大学大学院修了。キャバ嬢・ホステスとして11年勤務。コスプレやポールダンスなど、サブカル・アングラ文化にも精通。X(旧Twitter):@0ElectricSheep0、Instagram:@0ElectricSheep0

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