仕事

コロナ禍でコンビニバイトを始めた経営者「年下の大学生に怒鳴られる」

配達員を始めて「世界が広がった」舞台脚本家

配達員 東京都在住の舞台脚本家・家原雄平さん(仮名・40代)も、コロナ禍で仕事が「全くない」状態になった。年間50本以上請け負っていた舞台は軒並み中止。一部はネット配信による「リモート興行」となったが、こちらはスタッフの持ち出しで行われたため、実質マイナスに。 「お恥ずかしい話、一人暮らしで貯蓄もなく、明日食べるものにも困るような有り様。即金のアルバイトを探していたところ、テレビでやっていた“配達員”の仕事が目に止まりやってみたんです」(家原さん、以下同)  コロナ禍で注目されているのがUber Eatsなどの「フードデリバリーサービス」。レストランや居酒屋などの店に行くことなく自宅で飲食を楽しめることから利用者が拡大しているが、その配達員のアルバイトをスマホのアプリを使って開始した。 「長年乗っていなかった錆びついたママチャリを使って始めたんですが、初日は3時間やって2件を配達し、700円ぐらいしか稼げませんでした。お尻は痛いし足はつるし。届けた商品の料理がぐちゃぐちゃだと、客から文句も言われて。心が折れて辞めようと思いました」  そして、2~3日間は自宅で絶望していたというが、いよいよ冷蔵庫の中身も底をつき、再び配達に出た家原さん。 「座して死ぬより動こうと一念発起。最初はキツかったですが、慣れると運動みたいにやれる。長年デスクワーク一本でしたから、動くことの爽快感が新鮮で」  今では複数のフードデリバリーサービスに登録し、月に25万円程度をコンスタントに稼ぎ出すようになったという。 「コロナがなければやっていなかった仕事。世界が広がった感じはありますし、脚本の題材にもなるんじゃないかと」  絶対にやるはずがなかった仕事を経験している、と話すエンタメ関係者は他にもいる。

司会業からデイサービスの仕事に「コロナ後に生かしたい」

 この道30年、イベントの司会一本で食べてきたという司会業・坂本ナミさん(仮名・50代)。 「プロ野球関連の会見から結婚式まで、年間に150本以上の仕事がありましたが、昨年は30本近くまで落ち込みました。今後も復活する見込みがなく、デイサービスでヘルパーの仕事を始めました」(坂本さん)  介護士やサービス介助士の資格がないため、坂本さんができることといえば、車の送迎や清掃など。時給は950円と、司会をやっていたときの5分の1以下。慣れてくると、食事の手伝いやおむつ替えなど、精神的にキツい仕事も回ってきた。  それでも、新たな光を見出した、と話す。 「活気あふれる現場しか経験したことがなく、ご老人とこれほど多く接したのも初めて。仕事は本当にキツく、収入も満足ではありません。でも、今後の高齢化社会を考えれば、イベントだってご老人向けのものが増えるはずですよね。今のうちにおじいちゃんおばあちゃんとの接し方を勉強して、コロナ後のイベント司会に生かそうと思っています」(同)  本業の仕事が無くなりはしたが「今は研修期間」と話し、精一杯に生きる三人の逞しさ。アフターコロナのエンタメ業界は、以前にも増して「厚み」のある世界になるに違いない。<取材・文/森原ドンタコス>
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