スポーツ

ハンカチ世代の元投手が語る、戦力外通告の現実「球団に残れるのは1~2割」

就職=野球を諦めるという決断が必要だった

「マリーンズは球団の仕事をするという場合、『引退宣言』をしないといけないんです。つまり、“トライアウトを受けてどこにも引っかからなかったからやっぱりやる”はダメ。千葉ロッテマリーンズに就職をする=野球を諦める。その決断が必要でした」  野球に未練はあった。しかし、戦力外を受けたときには妻と子供がいた。さらに、当時初という球団の運営側に誘われた喜びもあり、サラリーマンになることを決断したのだ。 「アルバイトは高校3年生のとき、3か月間の居酒屋経験だけでした。なので、パソコンの使い方、メールの打ち方、名刺の渡し方…サラリーマンになるにあたり色々教えて頂きましたね」 黒沢翔太 現在、黒沢さんはMD・コンセッション部に所属し、「ZOZOマリンスタジアム」の飲食部門を担当。グッズ部門と協力しながら日々業務に励んでいる。 「今後どうなるかわかりませんが、会社には『球団の色々な仕事を経験したい』と伝えています」と、明るく話していた。

大谷翔平にホームランを打たれたことが…

黒沢翔太

大谷翔平にホームランを打たれたことが一番の思い出

 最後に、プロ野球生活で一番の思い出を聞いてみると、意外な答えが返ってきた。 「大谷翔平選手(ロサンゼルス・エンゼルス)にホームランを打たれたことです。見事に打たれました。いまだに映像にも残っているし、友人たちにはいつもそれを見せて自慢しています(笑)」  野球をやったことのある人間ならば誰しも一度は憧れるであろう“プロ野球選手”という職業。それに就くことも難しいが、あり続けることもまた容易ではない。  そして、大好きな野球と関わり続けられるのもまた、一握りなのだ。<取材・文/日刊SPA!取材班 撮影/鈴木大喜>
1
2
おすすめ記事