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ハンカチ世代の元投手が語る、戦力外通告の現実「球団に残れるのは1~2割」

 今季、ニューヨークヤンキースから8年ぶりに古巣・楽天に入団する田中将大投手(32)。13年には開幕24連勝(プロ野球記録)を果たした右腕の日本球界復帰で、今シーズンのプロ野球は例年以上に熱く盛り上がることになるだろう。  その田中とかつて、甲子園の舞台で死闘を繰り広げた、日本ハム・斎藤佑樹投手(32)。「ハンカチ世代」の頂点に君臨していた彼は今季プロ11年目のシーズンを迎えるが、いまだ目立った活躍を見せていない。現在は右肘靱帯断裂の影響もあり、2軍キャンプで汗を流す日々が続いている。  そんな彼らと同い年の元プロ野球選手の中には現在、普通のサラリーマンとして働く人もいる。

育成から這い上がり、ギータを打ち取る

黒沢翔太

千葉ロッテマリーンズで球団職員として働く黒沢翔太さん

「入団当初に10人いた育成選手が、1年後には2人になっていた」  前回のインタビューで育成選手の厳しい現実について語ってくれた、千葉ロッテマリーンズの球団職員として働く黒沢翔太さん(32歳)。黒沢さんは2010年、城西国際大学から育成選手として同球団に入団後、2013年7月、25歳で支配下に登録された苦労人である。  彼の一軍初登板は同年8月の対ソフトバンク戦。7回裏、<ソフトバンク5-1ロッテ>の場面だった。 「ブルペンの方が緊張したんですよ。『行くぞ』と言われた時なんて、もうめっちゃ緊張です。ただ、グラウンドに入ったら歓声が凄すぎて、音がこもって何も聞こえなくて(笑)。だから、マウンドに立った時はもう、緊張はありませんでしたね」(黒沢さん、以下同じ)  得点圏にランナーを背負いながらも粘りの投球を見せ、無得点で切り抜けた。ちなみに、3つ目のアウトは同学年で今や球界を代表する打者に成長した、当時25歳の柳田悠岐を打ち取ったものだ。  夢の一軍の舞台での初登板。幸先のよいスタートを切ったかに見えたが、現実はそう甘くなかった。一軍での登板回数は計14回。その後、引退までの4年間で勝利投手になることは一度もなく、現役生活に幕を下ろすことになる。  2017年10月、黒沢さんは球団から戦力外通告を受けた。

戦力外通告…球団に残れるのは1~2割

黒沢翔太

球団に残れるのはその年の1~2割

 クビになった選手の中でも現役生活に未練のある者はトライアウトを受験するが、野球人生にピリオドを打つ場合、あらたな働き口を探さなくてはならない。  戦力外通告をされた際、黒沢さんは球団の編成スタッフから「球団に残って欲しい」と告げられたという。だが、実はここでも、職を失うことになった者たちにとって厳しい現実があるそうだ。 「戦力外になった選手の中でその後、球団に残れるのはその年の1~2割くらいです。10人クビになったら、1人か2人。育成選手が球団に残る……と同様に狭き門なんです。残れる残れないは、その年の運もありますしね」  当時、ロッテでは戦力外通告された元選手が球団に残る場合、コーチを始めとする“チームスタッフ”になるしか道はなかった。だが、黒沢さんの場合は違った。 「前の球団社長から、『元選手を球団の運営側に入れたいから、来てくれないか?』と言われたんです。ビックリしましたね。チームスタッフのどこのポジションに入るんだろう? とか、探したりしていましたから(笑)」  ただし、その打診を受けるには条件があったという。
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