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ラブホテル女性オーナーが見た“ワケあり”の人間たち。刑務所から感謝の手紙も

 男と女の愛憎が渦巻く場所、ラブホテル。日本でのラブホテル産業は1960年代から本格化し、1980年代から始まるバブルに相乗して発展を遂げてきた。最盛期には1万を超えるホテル・モーテルが営業していたと言われている(※警視庁「風俗行政研究会」資料より)。  そこには表社会では生きられない人々が集い、大小さまざまな事件も多発していた。ラブホテルの実態を見守り続けてきた関西のホテルオーナーに、今まで遭遇した数々の修羅場を教えてもらった。 【前回記事】⇒コロナ禍でも予約が満室のラブホテル。利用者のほとんどが女性同士なワケ

バブル崩壊でお嬢様生活から一転、ラブホテル勤務に

中西葉子

中西葉子さん

 自身のホテルで起きた事件を語ってくれたのは、女性経営者の中西葉子さん。中西さんは大阪市内の中心部でラブホテル『ローズリップス』を2店舗経営しながら、ビルなどの不動産業も営む、やり手の女性オーナーだ。 【画像をすべて見る】⇒画像をタップすると次の画像が見られます  建築業を営む父のもと、「お嬢様」として育ったという彼女。自身がラブホテル経営に乗り出したのは、バブル崩壊がきっかけだった。 「父の会社が倒産するまで、まさか自分がラブホテルをやるなんて思ってもいませんでした。父はホテルやビルを建てる傍ら、サイドビジネスとして自分でもホテル経営をしていたんです。そのうちゴルフ場の経営にも関わるようになって……そっちのほうに足を引っ張られてしまい、バブル崩壊とともに不渡りの連続で倒産。私はそれまで父のおかげで裕福な生活をさせてもらっていて、何も知らずに遊んでいたお嬢様だったので、いきなり路頭に迷わされたんです」  幸いなことに、母親名義のラブホテルが1軒だけ残っており、中西さんが引き継ぐこととなる。

生きていくための唯一の資産

 経営不振に陥っていたホテルだったが、彼女にとっては生きていくための唯一の資産だった。 「私は経営の勉強なんてしたことが無かったし、父も外部に任せていたので何も知らなかったんです。当時、父は倒産の整理整頓で大変で、母も病気がち。姉は嫁いでいたので、私ひとりでやるしかなかった。何も勉強できず時間もない中、まずは客室のお掃除から始めました。なんせ閑古鳥が鳴いているホテルだから、お部屋がドロドロで汚くて。管理も何もできていなかったんですよ」  ホテルの支配人やスタッフに教えてもらいながら、経営に関するノウハウを実践で学んでいった中西さん。経理だけでなく、清掃にフロント業務、ルームサービスの食事作りまで全ての業務をこなす日々。48時間働いて8時間寝るという生活が続き、過労で何度も病院に運ばれた。夢中で業務をこなすうちに利用客も増え、売上も大きく出るように。  転機が訪れたのは29歳の時だ。 「インターチェンジ開発でホテルに立ち退きの話がきたんです。そこで上手いことやって(笑)大きなお金が入ってきたので、大阪で再出発させてもらいました。こっちに来てからの1号店が『ローズリップス鶴橋店』です。でも土地柄、お客さんにもスタッフにもワケありの人が多かったですよ」
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部屋を散らかすヤクザに大説教
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