更新日:2022年12月08日 20:48
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中央道から見えるナゾの建造物“ラブレター”の正体は? 製作者の意図も聞いた

ラブレターが作られたきっかけ

ラブレターからの眺め

 このラブレターについて、藤野観光協会の事務局長・佐藤鉄郎さんに取材し情報を聞いたところ、次のようなことがわかった。 ・「緑のラブレター」という芸術作品で、地元在住の髙橋政行さんという造形作家の作品である。 ・完成は1989年で「藤野ふるさと芸術村構想」という行政による町おこしの一環で作られたそう。地区には同施策で作られた様々な芸術作品が点在しているが、その中でも最大級のサイズを誇る(小学校のプールとほぼ同じ、25m×17m)「緑のラブレター」は地元の人にとってもシンボル的存在になっているという。 ・同地区は、横浜や川崎の水がめである相模湖を抱えているため、周辺の森林を切り開いての開発ができない。そこで、第二次世界大戦中に世界的に有名な画家である藤田嗣治ら芸術家がここに疎開して活動をしたことから「芸術」で町おこしをすることになった。  その取り組みが功を奏し、人口約8200人の小さな町に300人もの芸術家が暮らしているという。

ラブレターに込められた思い

 しかしなぜ、あの場所にラブレターなのか。この点については製作をした造形作家の髙橋政行さんに話を聞いた。 「人間は何万年にも渡って自然からの恵みをいただきながら生きてきました。しかし、私が造形作家として活動をはじめた20世紀の後半は、人間の生活もアートの世界も自然と切り離されていくような時代でした。そこで、自然から愛のこもった贈り物をいただいているという心を忘れないために、あの作品を作ったんです」  現代でも、衣食住やエネルギーの多くが自然からもらったものであるにも関わらず、私たちはそれを忘れてしまっていることが多い。「緑のラブレター」を見かけたら、それをふと思い出してみるのも必要なのかもしれない。そんな思いを込めた作品だが維持も大変なようで、髙橋さんはこう続ける。 「完成して感じたことは、自然の力の凄まじさです。周囲の木々がどんどん伸びてきて作品がすぐに隠れてしまうんです。なので、常に木々の伸び具合も管理しなくてはていけないので、あの道を何度も登っていますよ。私も72(歳)になり、あの傾斜には本当に苦労するんですが、生きている限りはメンテナンスも頑張ってやろうと思っています。それは、大雪で完全に崩壊したとき、藤野の人々から『町のシンボルがあんな風になっていたらみすぼらしいじゃないか』という声をいただき、藤野に暮らす人にとって大事なものになっていると感じたからです。中国からPM2.5が大量に飛んできていた頃は、ラブレターがすぐに真っ黒になるのでいつも掃除しに行かなくてはいけませんでしたが、なんとか頑張っています」  常に変化し続ける自然の中に巨大作品を置いておくことは、想像以上の苦労があったのだ。
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知られざる兄弟モニュメントも存在した
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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