ライフ

貧困とDVに苦しんだ「中卒社長」が、カンボジアに小学校を寄付するまで

荒んだ日々を過ごした末にたどり着いた建設業界

中村英俊氏

壮絶な自身の生い立ちが現在の多岐にわたるチャリティの原動力になっている

 また、困ったのは金銭的な問題だけではない。病気から回復した父は仕事というやりがいを失い、まるで人が変わったかのように家族に厳しく当たるようになったという。 「毎日酒を飲んでは、母や自分に暴力をふるう。父も僕同様、180センチ以上ある巨漢だったので、本当に怖かったです。電信柱に縄で括りつけられて殴られたり、倒れたところに小便をかけられたり。また、『お前なんか生まれてこなくてよかったのに』『早く死んでしまえ』などという言葉の暴力を浴びせられるなど、中学生くらいまで毎日のように父からの虐待を受けていました。ただ、僕は負けん気が強かったので、父に殴られながらも『いつか絶対にこいつを倒してやる』と思いながら、日々を耐え忍んでいましたね」  中学2年生のとき、ついに父の暴力に耐えかねた母が離婚を決意。その後、母に引き取られた中村氏は高校に入学するも、毎日ケンカをするような荒れた日々を過ごすように。 「10代の中頃は、本当に心が荒んでいましたよね。ケンカが続いて高校を退学し、母からも勘当されてどうしようかと思ったとき、先輩の勧めから建設業界で働きだしました。いざ働き始めると、自分の力でいろんな建物を手掛けられることに充実感を覚え。19歳で独立しました。僕の人生に大きな影響を与えた父も僕が27歳のとき、54歳で他界しました。幼少期からの父への気持ちと印象がよくはなかったのですが、やはり父がいて僕の生があるので、感謝の気持ちで関西でも有名な寺院でおしゃれで大きなお墓を建てました」

支援団体に頼るより、自分でやったほうが早い

コラボイベント

2018年にはタレントの時東ぁみとコラボチャリティイベントを共催

 建設業界で働きつつも、親戚に難病を抱えた子供がいたこともきっかけとなり、児童福祉施設や医療センターのボランティアを十数年に渡って行うことに。こうした地道なボランティアを通じて実態を深く知るたびに、「お金も人も労力も足りない」という福祉現場の現実を突きつけられたという。そこで中村氏が考え至ったのが、社会貢献にも積極的に取り組む業界団体の設立だった。 「最初は福祉支援団体などに、稼ぎを寄付すればいいんじゃないかと思ったんです。でも、支援団体に寄付をしても、その大半が中抜きされることも多いと聞いて、『だったら、自分でやったほうが納得できるし、お金の使い方も明朗だな』と。ただ、自分一人ではやれることは限られているので、自分と同じように社会福祉やボランティアなどに関心のある建設会社を集めて、一緒に社会貢献できたらいいなと考えました」
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カンボジアの貧困村で小学校を設立
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