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「倉庫で戦力外を言い渡された」ホークスの“いぶし銀”が振り返る激動の現役時代

日本一になったシーズンは出遅れていた

――その後、1999年にチームは日本一、翌年もリーグ優勝して日本シリーズではON対決が実現しました。 湯上谷:1999年は、オープン戦で肩の大怪我をしてしまって。開幕に間に合わず、リハビリを続けていました。ただ、当時のホークスはまだ若手ばかりで、守備と足で頼れる選手が必要だということで、手術は見送られたんです。 ――手術を受けると、その年は治療に専念することになりますからね。 湯上谷:すると、5月の西武ドーム(現:ベルーナドーム)の試合で、ショートを守っていた若手選手がエラーをしたんです。僕はテレビでその試合を見てたんですが、すぐに電話がかかってきて「すぐに来い」って言われて。福岡から急いで荷物をまとめて飛行機に飛び乗り、翌日の試合には出場しました。

守備を重要視した王監督

――もう怪我は完治していたんですか? 湯上谷:いえ、まだボールを投げるのも打つのもままなりません。状況は伝えたんですが、「痛みがないなら来い」と王さんに言われて。 ――選手時代から何度も優勝を経験している王さんだからこそ、守備を重要視していたのかもしれませんね。 湯上谷:王さん自身はホームランバッターですが、指導者としては細かい部分に厳しい人でしたね。でも、案の定数ヶ月後には痛みが出始めて、結果的にシーズンの途中で手術しました。
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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