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伝説の“レディース総長”引退後の波乱万丈。元ヤン・シングルマザーの“子育て”とは

 1989年に創刊され、90年代には社会現象を巻き起こした伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』で、カリスマ的な人気を博した女性がいる。栃木県のレディース暴走族「北関東硬派連盟貴族院・女族」元2代目総長のかおりさん。
女族・かおり

レディース暴走族だった頃のかおりさん

 あれから30年の時を経て、その壮絶な人生を綴った自叙伝『「いつ死んでもいい」本気で思ってた…』(大洋図書)を7月13日に上梓。台湾人として生まれ、喧嘩に明け暮れた少女時代から、レディース引退後はどのような人生を歩んだのか……。今回は詳しい話をうかがった。(記事は全2回の2回目)

レディース総長を引退後の人生

女族・かおり

現在のかおりさんの姿(撮影/藤井厚年)

——『ティーンズロード』で全国的に知られた存在になったかおりさんは、総長を引退後は雑誌の常連だったレディース総長たちで結成されたボーカルユニット「鬼風刃(きふうじん)」メンバーとして活動していたと思います。その後はみなさんどうされているんですか? かおり:当時のメンバーとは今も交流があります。普通に主婦をやっていたり、自分でお店をやっていたり。あとは、NPO法人を立ち上げて行政と仕事している子もいますね。
鬼風刃

音楽ユニット「鬼風刃」としてデビュー。右下がかおりさん。写真は、雑誌『ティーンズロード』の表紙

——社会的に活躍されている方も多いんですね。 かおり:やるとなったらとことんやる人は多いかもしれないですね。ヤンキーって、じつはボランティアが好きな人とかも多いんですよ。基本的に世話焼きというか、家族や仲間、居場所やコミュニティみたいなものへの思いが強いから。私も地元の商工会議所やら青年会やら、地域ボランティアみたいな活動はよくしていました。

銀座の高級クラブでNo. 1ホステスに

ホステス・かおり

水商売時代のかおりさん

——かおりさんは「鬼風刃」の活動を機に、芸能の道を志して上京。生活のために六本木のキャバクラや銀座の高級クラブで働き始め、No.1にもなったと聞きました。 かおり:夜の世界では、ある意味、初めての挫折を経験しました。銀座の高級クラブで地蔵になっていたら(お客さんとの会話に何も参加できずにいたら)、ママから「ボーイさん、灰皿と一緒にこの子も下げて」という屈辱的な扱いを受けて……。 地元ではどこでもチヤホヤされて、道の端を歩いたこともなかった私には、かなりショックな出来事。ただ、それがきっかけでしたね。バックヤードでひとしきり泣いたら、負けず嫌いに火がついて。売れているホステスの子の動き方を必死になって研究しましたね。お客さんにもらった名刺に会話の内容とかすべてメモして地道に覚えて。 ——トップまでなれるのがすごいところですね。 かおり:いま考えると、あまりお客さんに媚びないで、たまにヤンキー感が出ちゃうのが良かったのかもしれないです。ホステスとして大切な基本は抑えつつですけど、別にキャラを変えたりはしなかったので、「お前、ヤンチャしてきただろう?」「え、わかります?」みたいなやり取りはよくありました(笑)。
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子どもたちがグレてしまったことも…
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「いつ死んでもいい」本気で思ってた…

伝説のレディース雑誌「ティーンズロード」でカリスマ的存在だった平成の女暴走族「貴族院女族」元2代目総長「かおり」の誰にも話さなかった壮絶な人生の実話を30年を経た今、暴露する!
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