“野村克也の愛弟子”が目の当たりにした原監督の“采配の妙”「あえて投手に代打を出さず…」
選手たちは「監督の求める野球をやるだけ」と語っていた
―[だから、野球は難しい]―
1965年、千葉県船橋市出身。安田学園高から83年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神に移籍、この年限りで引退。 05年に新設された東北楽天の二軍外野守備・走塁コーチに就任し、シーズン途中で一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。11年にはBCリーグ新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシップに導き、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任し、巨人の3連覇に貢献。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は、楽天と西武での一軍コーチを経て、19年にヤクルトの二軍野手総合コーチを務め、21年から24年まで新潟アルビレックスBCの監督を務めた。![]() | 『だから、野球は難しい』 巨人・原辰徳、名将・野村克也に仕えた現役監督が明かす、今勝てるチームとは? ![]() ![]() |
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