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「阿部と長野の姿を遠くからじっと見ていた」若き日の坂本勇人が“一皮むけた”出来事

坂本に伝えた「あえて外角は捨てていく」という方法

そこで私は一つの提案をした。 「真ん中から外に曲がる変化球は、すべて捨てていったらどうか」 坂本に代表されるように、巨人の選手は総じて打撃の能力が高いゆえ、すべての球種やコースに対応しようと考えていた。だが、それが間違っていた。力の落ちる二流の投手ならばそれも可能だろうが、一流の投手となるとそううまくはいかない。 ましてや当時は、巨人と対戦するときには、相手チームは必ずエース級の投手をぶつけてきたので、そう簡単には打てない。すべての球種に対応するなど、どだい不可能だというわけだ。それならば確率の高い策を講じたほうが、結果はいいものになる。このときのケースでいえば、「あえて外角は捨てなさい」という方法だった。 これまでは「外角の変化球を打つにはどうすればいいのか」を必死に考えていたのだが、「外角の変化球は捨てなさい」というアドバイスをもらったことは一度もなかっただけに、坂本には新鮮に聞こえたようだった。 これが功を奏して坂本の打撃は冴えわたった。勝負どころの8月以降も衰えることなく、シーズンを通して173安打を放ち、同僚の長野とともに、セ・リーグ最多安打のタイトルを手にしたのだ。 坂本も気づけば今年の12月で36歳となる。若い頃と違って、体に無理がきかなくなっていることは、誰よりも本人が理解しているはずだ。彼に技術で教えることは何もない。あとは体のメンテナンスに注力し、1年でも長く現役を続けて、3000安打まで到達してほしい。それが達成できるのは、球界広しといえども坂本をおいてほかにいない。 <TEXT/橋上秀樹>
1965年、千葉県船橋市出身。安田学園高から83年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神に移籍、この年限りで引退。 05年に新設された東北楽天の二軍外野守備・走塁コーチに就任し、シーズン途中で一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。11年にはBCリーグ新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシップに導き、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任し、巨人の3連覇に貢献。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は、楽天と西武での一軍コーチを経て、19年にヤクルトの二軍野手総合コーチを務め、21年から24年まで新潟アルビレックスBCの監督を務めた。

だから、野球は難しいだから、野球は難しい

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