国民民主党「山尾ショック」の内幕。支持率急減から公認見送りまで、“三行半の恨み節”と玉木代表のガバナンス不全
6月10日に出馬会見を開いた山尾志桜里氏は2時間半にわたって記者からの質問に答えたが、不倫疑惑については「8年前に会見で申し上げたことが事実」と改めて否定。「なぜ報道機関を訴えなかった?」の質問も飛んだが、その後はゼロ回答だった。これを受けて翌日には急転直下の公認見送り処分となった。
山尾志桜里氏の国民民主党擁立をめぐる経緯について改めて時系列を整理する。
4月下旬 公認擁立の発表と批判の拡大
2023年4月下旬、山尾氏が国民民主党から立候補する可能性が報じられると、SNS上で過去に『週刊文春』で報じられた不倫疑惑などへの批判が再燃。党執行部は状況を見極めつつ、5月14日に山尾氏を含む比例区候補4人の擁立を正式に発表した。しかし、発表直後から山尾氏をめぐる議論が過熱し、批判が増加。朝日新聞の5月の世論調査では党支持率が4月の12%から8%に急減、「風向きが変わった」との危機感が党内で広がる。
6月10日 党内の混乱と山尾氏への説明要求
支持率の低下やSNS上での議論を受け、玉木雄一郎代表が山尾氏に過去の言動について説明を求める意向を示した。山尾氏の擁立に対する抗議の電話が党本部や地方議員の事務所に殺到する中、玉木氏と榛葉賀津也幹事長は、状況改善のため山尾氏の記者会見を実施するよう提案。しかし、会見実施時期の決定は遅れ、6月10日に国会内で2時間半にも及ぶ会見がようやく開かれた。記者会見では、山尾氏が過去の疑惑について謝罪したものの、不倫疑惑に関する質問には「8年前に会見で申し上げたことが事実」などと、明確な回答を避ける場面が目立った。
6月11日 公認見送り決定
会見では「なぜ報道機関を訴えなかった?」の質問も飛んだが、ゼロ回答に終始した山尾氏。翌日6月11日、党執行部は山尾氏の公認見送りを決定した。会見直後の迅速な決定に、山尾氏は困惑を示し、「性急な判断に驚いた」とのコメントを発表。同時に離党届を提出し、「党の統治能力に深刻な疑問を抱いている」と批判した。
一連の“山尾ショック”から生じる政局の変化について、ジャーナリストの岩田明子氏は「不信任案の提出も見送りが濃厚、敵失によって石破政権の寿命が延びることに」と分析する(以下、岩田氏の寄稿)。
国民民主・玉木雄一郎代表の決断は吉と出るか凶と出るか。公認見送りとなった山尾志桜里氏の2000文字超の三行半が話題を呼んでいる。
〈(国民民主の)統治能力には深刻な疑問を抱いておりますので、今後は一線を画させて頂ければと思っております。〉
6月12日に本人が公開した文書には執行部に対する不満が渦巻いていた。玉木氏と榛葉賀津也幹事長に10日の“出馬会見”への同席を求めたが、「辞退会見なら」と断られたという。その会見翌日の両院議員総会で一方的に公認を取り消されたら、恨み節を言いたくなる気持ちもわかる。
もちろん、資質の問題はある。会見で山尾氏は、過去の不倫疑惑について「今何かを話せば、さまざまなご迷惑をおかけすることもある」とゼロ回答を繰り返した。有権者の理解を得ることが目的だったのに再炎上したため、党本部や所属議員には支持者から批判の声が殺到したと聞く。“延焼”を食い止めるには切るほかなかった。
とはいえ、玉木氏の責任は免れない。世論の反発が予想されるなか擁立を強行しようとしたうえに、ガバナンス不全が露呈したからだ。都議選、それに続く参院選で議席を伸ばすのは間違いなさそうだが、山尾ショック以前の党勢拡大期待を回復するには時間を要するだろう。

写真/産経新聞社
党の意思決定プロセスに混乱
争点潰しの給付策と野党低調
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いわたあきこ●ジャーナリスト 1996年にNHKに入局し、’00年に報道局政治部へ。20年にわたって安倍晋三元首相を取材し、「安倍氏を最も知る記者」として知られることに。’23年にフリーに転身後、『安倍晋三実録』(文藝春秋)を上梓。現在は母親の介護にも奮闘中
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