「立命館大学→大手企業」からホストに転職…母親に「泣きながら反対」されても我が道を貫いたワケ
約50人のホストが在籍する歌舞伎町の有名ホストクラブ「TOPDANDY本店」でトップの人気を誇る志尊ゆうさん。立命館大学卒、大手企業出身というハイスペックな経歴を持つ人物である。にもかかわらず、ホストという職業に出合うまで「やりたいことが何もなかった」と自身のキャリアを振り返る。安定した人生を捨て、“歌舞伎町ホスト”の道を選んだ志尊さんのキャリア観を聞いた。
「もともと、勉強は得意ではなかった」と謙遜する志尊さんだが、地元・名古屋の進学校を経て、現役で立命館大学理工学部に進学している。
「将来の夢がまったくなくて。当時は、ただいい高校に行って、いい大学に入ればいいことがあると信じていました」
就職活動では『会社四季報』を読み込み、「大手企業」「平均年収が高い」「離職率が低い」といった条件に合う企業をリストアップ。選考フローが少ない企業を優先的にエントリーし、その中の一つである大手空調機器メーカーに入社した。
「内定をもらったときは親がすごく喜んでくれて、『これで安心だ』と思いました。でも自分自身は、特に思い入れがわるわけでもなく……。決められたレールの上をただ歩いているな、という感覚です」
グローバルに事業を展開している大手空調機器メーカーに入社し、大阪本社の技術営業部に配属された志尊さん。『会社四季報』に記されているとおり、社員に優しいホワイト企業だったそう。
「だからこそ、入社してすぐに物足りなさを感じてしまいました」
入社して約1年が経った頃、志尊さんは退職を決意した。
「ホワイト企業とはいえ、若くてエネルギーのある時期に、年齢相応の給料をもらって働いているだけでいいのか。そんな漠然とした疑問が湧くようになりました。安定を求めて入社したはずなのに、気づけばこの環境に対する不満が募っていったんです」
退職後は人材派遣会社に勤務したり、不動産仲介会社の経営に携わったりと、さまざまなキャリアを模索した。しかし、どんな仕事にも楽しさややりがいを感じられなかったという。
「結局、自分は何がしたいのかという問いが常につきまとっていました。当時はまだ、本当にやりたいことが見えていなかったんです」
転機が訪れたのは、新型コロナウイルスの感染拡大による自粛期間中、そして親しかった友人の事故死が重なったときだった。
「その期間に、初めて自分と深く向き合いました。それまでは流されるように生きてきたのですが、人はいつ何が起こるか分からない。だからこそ、“今”を全力で生きることが大切だと強く感じ、『今しかできないことをやろう』という思いが明確に芽生えたんです」
将来の安定を最優先に考えてきた志尊さんにとって、それは大きな価値観の転換だった。
「不動産など、“いつでもできること”ばかり考えていた自分に気づいたんです。一度リセットして、“今しかできないことは何か”と考えたとき、頭に浮かんだのがホストという職業でした」

源氏名は、昔から「よく似ている」と言われていた俳優の志尊淳さんから
『会社四季報』を読み、消去法で大手企業に入社
コロナ禍、友人の事故死……人生を見つめ直した

25歳のとき、ホストに挑戦することを決意
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IT企業の広報兼フリーライター。元レースクイーン。よく書くテーマはキャリアや女性の働き方など。好きなお酒はレモンサワーです
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