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「俺も令和時代に二十代だったら…」社会人三年目で結婚する後輩への戸惑い――小説『まだおじさんじゃない』【第一章・第三話】/鳥トマト

いつの間に若者ではなくなったのだろう。39歳、年齢的にはおじさんである。でも「おじさん」と呼ばれることに抵抗感を覚えるのはなぜだろう――。出版社で漫画編集者として働く若林は担当作家のヒルビリー真中に占いをしている姿を見られ、イジられてしまう。打合せを終え、別れた彼女とのことを胸に止めながら、会社に戻ると社会人3年目の後輩が結婚報告をしていた。 「俺も令和の時代に二十代だったら、彼らみたいに仕事よりも自分の生活優先の日々を送れたのだろうか」――。『東京最低最悪最高!』が話題の人気漫画家・鳥トマトが自称“ベテランの若者”の心の惑いを描く。

第一章(若林信二編)・第三話「多様性フルコース男」

「若林ちゃんって、彼女さんになんて呼ばれてたの? 信二? やだかわいッ」  後楽園のアフタヌーンティーはまだ十一時だというのに、ほぼ満席だった。 「大丈夫よ、若林ちゃん。彼女、いなくなっても。そこそこイケメンだし。次すぐ見つかるよ」  真中は本当に嬉しそうだ。俺は自分の話から離れてほしくて別の話をふる。 「真中さんは最近どうですか」 「え、アタシの私生活気になる感じ?」  正直、全く気にはならないが、作家の精神状態は一応把握しておきたい。 「アタシは最近、例の彼氏ちゃんとラブラブ同棲ライフ送ってるからノー問題」 「へー。それはよかったです」  マジで興味なさそう、本当に、若林ちゃんって漫画以外、何にも興味がないわよね、と真中が一人でぐちぐち言っている。いや、漫画以外にも興味があることはあるよ、特にお前の私生活には興味がないだけで……とはもちろん言わない。赤字を入れたネームをテーブルに出す。 「ネーム」つまり漫画のラフな下書きに、修正してほしい部分の指示、要するに「赤字」を入れて戻すのが俺たち編集者の仕事なわけだが、真中の最近のネームはわかりやすくほぼ完璧なので、誤字脱字以外にほとんど赤を入れる部分がない。 「今回もほぼ直しないです。もう俺がいなくても漫画描けるんじゃないですか」  ヒルビリー真中の連載漫画『私の理解あるカレ君』は現在十二巻が出版されている、満月を見ると狼に戻ってしまう狼男の大学教授と、美人すぎて周囲に馴染めない女子大学生(真中曰く「天然爆美女」)の禁断のラブストーリーだ。漫画家として終わりかけていた真中が、コロナ禍にこんなベタな漫画をSNSでバズらせて企画として持ち込んできたとき、俺はびっくりした。はっきり言って、今まで真中が描いていたものに比べて、あまりにもベタでストーリーが面白くないのだ。なのに、売れた。 「いやよ、二十九にもなって、こんなベタな妄想みたいな恋愛漫画を一人で描いてたら、アタシ、発狂した人みたいじゃない? 絶対打ち合わせはして!」  真中が自分に何を求めているのか、正直よくわからない。十年前、十九歳の真中がゲイだなんて、その頃の俺は知らなかったのだ。まだ単行本を一冊も出していない新人の真中は人間の精神の後ろ暗い部分を煮凝りにした私小説みたいな漫画を描いていて、それが俺は好きだった。まあ、その漫画は鳴かず飛ばずで、一年で打ち切りになってしまったわけだが。  この、作家自身も、もはや面白いとは思っていないような、中学生処女の妄想みたいな漫画がアニメ化のオファーが来るほど人気が出て、真中の私小説のような漫画がちっとも売れなかったことに関しては、俺も真中も複雑な思いがあったが、お互いそれについては触れないようにいつも打ち合わせをしている。 「ネームについてはもう、ほとんど言うことないんで、そしたらアニメの製作委員会のこと話してもいいですか?」  真中が待ってましたと言わんばかりに、膝を打った。 「そう、今日その話をしたかったのよ。アニメの製作委員会は、誰でも出資できるってこの前プロデューサーの竪山さんに教えてもらったじゃない?」  竪山というのは『私の理解あるカレ君』のアニメの担当プロデューサーだ。四年前にグループ会社から弊社のアニメをプロデュースするライツ事業部に中途入社してきた男。俺と同じ三十九歳らしいが、既婚子持ちで、慶應大卒の、上下全ての服をユニクロで揃えたいかにも「令和の理想のスマートイクメン」という印象で、俺はあまり好きじゃなかった。 「で、考えたんだけど、アタシも出資したりできないかしら」 「え?」  変な汗が流れる。作家が製作委員会に出資する案件は、ごくたまにあるが、製作委員会の会議に著者が参加してきたり、そこで思わぬ発言をして制作進行が滞ったり、印税配分が面倒になったりなどするので、できる限り編集者のほうで出資をやめさせるように動いてほしいと常々ライツ事業部から釘を刺されているのだ。 「普通の作家はそれはやらないですよ。漫画描く以外にやってもらう仕事がめちゃくちゃ増えるんで……」  おそらく、平成の作家ならこれで撃退できたのだと思う。漫画家は、漫画を描く職人。職人は自らの職務に集中すべし。そういう世界観が根強くあったからだ。 「めんどくさい作家ムーブよね。でも、やりたいの。新しい挑戦って感じ?」  でた〜、と俺は思う。真中は圧倒的にやることが「令和の」漫画家なのだ。原稿制作の様子を生配信して、作家仲間とYouTubeをやり、印税の話を赤裸々にXに垂れ流す。全てがオープンで、読者はおそらく、真中の漫画だけでなく人生も込みでエンタメとして楽しんでいる。「委員会への出資」も、真中の「人生挑戦エンタメ」の一つに違いなかった。 「アタシ、やりたいって言ったことは、絶対やるから。できるかどうか今度その竪山プロデューサーに聞いてよ。ね」  残念なことに、このような状態になった真中にはもう説得は通じない。真中が腕をキュルルン! というポーズにして俺を見つめてくる。変な男。生きづらいことも多かっただろう。この奇妙で哀れな才能の塊のことは、十年付き合っている俺が一番わかっている。やっぱり、俺が助けてやらないといけない。 「じゃあ次の委員会のときに確認します」 「やった〜! ありがと〜!」  真中とはその後一時間、世間話をして別れた。真中は始終、爆笑していた。 「若林ちゃんなら女なんて星の数よ」  別れ際に真中が言う。 「いつも自分で言ってるじゃない。若林ちゃんは、文化と共に生き、文化と共に死ぬんでしょ?」  会社に帰ると、俺の机の周りに人が集まっていた。隣の席の新人の周りで拍手が起こっている。 「若林さんもお祝いしてくださいよ! 私、結婚するんです」  俺はおめでとう、よりも先に「えっ?」という変な声が出てしまった。彼女はストレートのプロパー入社で社会人三年目だから、まだ二十五歳前後だ。大学生みたいなあどけない顔に「結婚」という文字があまりにも不釣り合いで事態がのみ込めない。思い返せば俺の初婚は三十歳で、それでも別段遅いという雰囲気はなかった。 「おめでとう! 思い切ったね」  俺は言った後、「しまった」と思ったが、もう遅かった。 「思い切ったって、なんでですかぁ?」  新人が言い返してきて、周りがクスクス笑う。だって二十五歳なら、他にもっといい人間と交際できる可能性があるだろう。その可能性を全部捨てて、結婚するって、すごい思い切りじゃないか?  俺なんか、三十九年も生きてきて、まだ真実の愛に出会えていないのに?  いや、と俺は周りを見渡して、思った。最近の後輩は結婚が早いのだ。そういえば、去年の新入社員も入社した直後に結婚して部署のみんなを驚かせていたではないか。さらに言うと、そいつは男のくせに産休まで取って、このご時世、「まだ会社に何の貢献もしてないのに産休取るってすごい勇気だな」とは誰も、とても、言い出せず、入社三年目にして時短で働くという働き方改革福利厚生全部盛りフルコースみたいな生活をしているではないか。  俺は新人の祝福もそこそこに、机に積まれているゲラの確認をすることにした。データで送られてきている原稿がこうやって紙になっていると安心する。最近は電子でしか出ないコミックも多い中、自分が頭が固い人間で嫌気がさすが、十七年こうやって仕事してきているんだから仕方がない。  いつもの入稿作業。いつもの赤字。いつものゲラ。その横を爆速でぶち抜いていく新人たち。俺も令和の時代に二十代だったら、彼らみたいに仕事よりも自分の生活優先の日々を送れたのだろうか。でも、そういう生活を送っている自分なんか、微塵も想像できなかった。そんな生活をしている俺は、本当に俺なのか? まだおじさんじゃない/鳥トマト 若林信二…39歳、バツイチ。出版社・有幻社の青年漫画誌の編集部で働く編集者。自身が「おじさん」であるかどうかがわからず生きている
まだおじさんじゃない/鳥トマト

若林信二

ヒルビリー真中…29歳。漫画家。少女漫画風恋愛漫画『私の理解あるカレ君』がヒットし、今後アニメ化を予定。年上のゲイの恋人と同棲している
ヒルビリー真中

ヒルビリー真中

堅山賢一…39歳。既婚で妻子あり。有幻社でアニメをプロデュースするライツ事業部に勤務。ヒルビリー真中の『わたカレ』のアニメ化を進める
まだおじさんじゃない/鳥トマト

堅山賢一

漫画家でありながら、歌ったり踊ったり、また小説家としても活動する奇才。現在、『二月に殺して桜に埋める』『私たちには風呂がある!』を連載中。その他の著書に『東京最低最悪最高!』『アッコちゃんは世界一』などがある。Xアカウント:@tori_the_tomato