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『まだおじさんじゃない』現代中年 惑いまくり小説【第十章・第四話 最終回 堅山賢一編】「夢の続き」/鳥トマト

出版社・有幻社で働く堅山賢一はプロデューサーとして、漫画編集者・若林信二の担当コミック『私の理解あるカレ君』のアニメ化を手がけた。同作のアニメ化は話題になり成功を収める。一方、妻との関係は冷え切り家庭は崩壊。堅山は新たな希望を胸に職場から去ることに…… 「僕も五十歳になったときに、部長のような力を維持できているだろうか」――。『東京最低最悪最高!』が話題の人気漫画家・鳥トマトが“大人にならなければ”と自らを戒める中年の心の惑いを描く。

第十章(堅山賢一編)・第四話 最終回「夢の続き」

 しん、と静まり返ったレストランで、社員もスタッフも全員俺を見つめている。 「ここだけの話、皆さんも本当にいいアニメを作りたいという野望があるなら、予算集めだけの製作じゃなくて、実際にクリエイターと働く、制作のできる会社に転職した方がいいと思います。私が今から行く会社も常に人を募集してます。私が制作部署の意思決定者になる予定ですので、優秀な皆さんのことはいつでも歓迎します。ただ、仕事をあまり頑張りたくない、安定したい、長くダラダラ働きたいという方は、この会社にとどまった方がいいでしょうね。  この会社に残るつもりなら、俺からのアドバイスとしては、“仕事を頑張ろうなんて思わない方がいい”です。この部署ではいくら頑張ってもプロパーじゃなければ部長になれない。仮に一瞬部長になったとしても、猿渡さんみたいにすぐに異動させられるのがオチですよ。俺の私生活も猿渡さんが異動になってから完全に破壊されました。離婚になったのも間接的にはこの会社のせいだと言っていいでしょう。編集部の人間はゆるふわに働いていても、家庭を大事にしても雇用が守られて、我々中途は完全に潰れるまで働かせるというのがこの会社のやり方なんですよ。俺たちは会社の中ですでに捨てられているんです。傭兵どころか棄民ですよ。社員と全く同じ働き方をしているのに永遠にスタッフ待遇の人がこんなにいるのもおかしなことです。俺はこの会社が好きだったのですが、会社はこちらのことをあまり好きじゃなかったということなんでしょう。好かれていない人にしがみつくほど惨めなことはない」  スタッフたちが目の色を変え、社員たちが目を逸(そ)らしていくのがわかった。そうだよな。お前たち社員は全く俺の仕事を引き取らなかったもんな。壊れていく俺を尻目に、自分だけは壊れなくてよかったと思いながら、呑気に出社してたんだもんな。 「これから私が働く会社では社員・スタッフの垣根なく、頑張れば頑張っただけ年収が上がるように調整する予定です。物価も上がっていくし、今のままの給与で据え置かれることは実質目減りですからね。この会社が嫌になったら、いつでもご連絡ください。カジュアル面談からやりましょう。この会社に残る方は、俺がいなくなったら大変かと思いますが、重要なことは山野に全部引き継ぎましたので、頑張ってください」  着席すると、幹事が慌てて「では、皆さんご歓談ください」とアナウンスして、飲み会はガヤガヤと元の雰囲気に戻った。 「堅山先輩が言いたいこと全部言ってくれてスッキリしました。いなくなったら私たちどうすればいいんですか? 部長は使い物にならないし、最悪です」  甘えた声を出す山野を見て、思わず笑顔になる。さっきは言わなかったが、本当に正直なことを言えば、みんな俺がいなくなって多少なりとも苦しめばいいと思う。それで今までどれだけ俺がこの部署を支えていたかを思い知ってくれ。  歓送迎会は二十一時に終わり、俺と山野は会社に戻って仕事をした後、一緒に山野の家に向かった。 「堅山さん、来週から有休消化ですよね? どうするんですか?」 「再来週からさっそく新しい会社に行かないといけないから、一回実家に帰ろうと思ってるよ。いろいろ報告することもあるし」 「え~? じゃあ来週遊べないんですか? 寂しいです~」  どうでもいい会話をしながら歩いていると、いつの間にか江戸川公園まで来ていた。 「桜、来週には全部散っちゃいますよ。ちょっと見ていきましょうよ」  公園の中には深夜なのに花見客と思しき酔っ払いがまだちらほらと座っていた。山野に手を引かれて、公園の中に入っていく。最初の頃は山野に手を握られると罪悪感があったが、最近はそれもない。 「堅山先輩がいなくなったら私も仕事大変ですよ。どうしよう」  可愛いことを言う山野の横顔を見る。そういえば、俺たちの関係には名前がない。会社を辞めても山野は俺と会ってくれるだろうか。 「山野もいよいよ仕事キツくなったら、俺の会社来ればいいじゃん」  山野の手を握り返した。細くて白くて、子供の手みたいに滑らかだった。 「えぇ~? 雇ってもらえます?」  十分雇ってもらえると思うよ、と返す。実際、山野はほぼ二十四時間態勢で俺からのLINEに返信をするし、私生活は少々だらしないが、仕事には大変熱心なのだ。 「外資系だったら、アメリカに転勤とかもあるんですか? 西海岸とか?」  キラキラした目で聞き返され、苦笑いになる。 「ものすごい出世すればあると思うよ。俺の前任者は日本ブランチを立ち上げて本国に戻ったらしいから」  俺の適当な言葉に山野はますます目を輝かせて、「私、洋ドラとか大好きなんで憧れなんですよ。ビーチでバーベキューとかするの超楽しそうじゃないですか? やっぱ『プラダを着た悪魔』みたいな感じなんですかね?」  それは西海岸じゃなくてニューヨークだろ、と思ったが黙っておいた。実際、外資系企業に行ったとて、本社まで行けるほど出世できることはないだろうというのは自分が一番よくわかっている。でも若くて、ちょっとおバカな山野の楽しげな夢を打ち砕く必要なんかどこにもない。彼女が俺とこれからも一緒にいたいと思ってくれるなら、それが一番だ。  そのとき、風が強く吹いて、あたり一面に桜の花びらが舞い散り、山野が大きく笑った。声が大きい。元気だ。健康的でいいなぁ、と思う。自分はパートナーに女性らしさなんて求めてなかったんだと気づいた。ただ、一緒にいて、エネルギーをもらえるような人と一緒にいたかっただけなんだ。  次の瞬間、風に乗って、横の神田川から生臭いドブのような臭いが漂ってきて、思わず頭を振った。  実家の周りを歩いていると、海の臭いがして、俺はそれをずっと振り払いたかったことを思い出した。具体的にどんな臭いだったか、思い出そうとしたけれど、それは鼻腔の遠くに行ってしまった。子供の頃の記憶はどんどん薄れていく。上京して、結婚して、就職して、離婚をして、転職をして。俺の人生はこれで本当に良かったのだろうか。人生を川に例えるなら、俺はただ下流に向かって流されているだけなのかもしれない。  でも、早めに海に出たら、なんだというのか。実際の海なんか、暗くて生臭くて、毎日なんの代わり映えもない。世界中、きっと西海岸だってどこだって本当はそうなのだ。俺は穏やかな海なんか嫌いだ。結末の見える人生なんてまっぴらごめんだ。また新しい仕事に挑戦して、新しいパートナーも探して、失った家庭よりもっといい家庭をつくり直して、より文化的な仕事に従事して、中途でもかまわず出世できる環境で、より良い文化、より良い生活を求めて。こうやって、まだ見ぬ海を夢見て、川で流されている時間を引き延ばすのも悪くないんじゃないか。  ポケットの中でスマホが震えている。また委員会からのメールか、真中先生からのLINEだろう。俺は社会から必要とされている。日本のアニメという文化が俺という存在を必要としていることが誇らしかった。  舞い散る桜の中でぴょんぴょん跳びはねる山野のシルエットが、通りかかった車のヘッドライトに照らされて目に突き刺さった。二人で笑いながら手を繋いで江戸川公園の中を走り抜けると、身体中に桜の花びらが貼り付いた。俺はこの瞬間のために生まれてきたのかもしれない。 まだおじさんじゃない/鳥トマト堅山賢一…40歳。バツイチ。有幻社でアニメをプロデュースするライツ事業部に勤務。ヒルビリー真中の『私の理解あるカレ君』のアニメ化担当
まだおじさんじゃない/鳥トマト

堅山賢一

山野美羽…29歳。青界プロダクションから有幻社のライツ事業部に転職してきた。明るくて元気。上司である堅山と体の関係を持ってしまい……
山野美羽

山野美羽

漫画家でありながら、歌ったり踊ったり、また小説家としても活動する奇才。現在、『二月に殺して桜に埋める』『私たちには風呂がある!』を連載中。その他の著書に『東京最低最悪最高!』『アッコちゃんは世界一』などがある。Xアカウント:@tori_the_tomato
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