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佐々木朗希はドジャースの救世主になれるか…「リリーフに前向き姿勢」が“温室育ち脱却”の第一歩

 メジャーリーグのレギュラーシーズンは、残すところあと1週間を切った。ナ・リーグ西地区の首位に立つドジャースは2位パドレスに3ゲーム差をつけているが、9月に入ってからは歯がゆい試合も少なくない。

ドジャース救援陣崩壊による“逆転負け”の連鎖

佐々木朗希選手

写真/産経新聞社

 日本時間22日のジャイアンツ戦は、先発したエメ・シーハンが7回無失点10奪三振の快投を見せたが、2番手としてマウンドに上がったブレーク・トライネンが打者7人に対して2つしかアウトを取れず炎上。チームはジャイアンツに逆転負けを喫した。  トライネンがマウンドを降りる際には地元にもかかわらず、ドジャースタジアムのスタンドからブーイングが巻き起こった。それもそのはず、トライネンはこの日を含めた直近5試合の登板で合計8失点と投げては打たれ、投げては打たれの繰り返し。チームの足を引っ張る救援陣の代表的な一人になっている。  トライネン以外にもカービー・イエーツやタナー・スコットがサッパリの投球を続けており、ドジャースが逆転負けを喫した試合は数えきれないほどだ。いずれも過去に他チームでクローザーとして実績を残してきた投手たちだが、ドジャースの首脳陣も8回、9回にどの投手を投入すべきなのか、解決の糸口は見つかっていない。

佐々木朗希がマイナーで見せたリリーフ登板の安定感

 そんな中、1年目の佐々木朗希が22日、マイナーで2度目の救援登板を果たした。  佐々木は、昨季オフにポスティングシステムでロッテからドジャースへ移籍。シーズン前のMLB公式プロスペクト(有望株)ランキングでは堂々の1位に輝き、新人王候補との呼び声が上がっていた。  ところが、デビューから環境の違いに戸惑った部分もあったか、それとも実力なのか、制球難に苦しみ、5回を投げ切ることもままならない試合が続いた。自身7度目の登板で待望の初勝利を挙げたものの、直後の登板で右肩に違和感を発症。「インピンジメント症候群」と診断され、長期離脱を強いられた。  8月中旬にマイナーで復帰登板を果たして以降は、好投することもあれば、突如制球を乱して大量失点を喫することも——。先発投手として、5試合にわたるリハビリ登板を終えたが、メジャー昇格にゴーサインは出ず、代わりにここ2試合は救援投手としてマウンドに上がっていた。

監督はダイヤモンドバックス戦前のメジャー復帰を示唆

 そしてその2試合で、佐々木は2回を投げて無安打無失点。四球を1つ与えたが、3つの三振を奪うなど、リリーフ適性が皆無でないことを証明している。  特に2度目のリリーフ登板となった22日の試合は、わずか8球で3人の打者を仕留める省エネ投球を披露。フォーシームの最速は97.9マイル(約157.6キロ)に留まったが、課題の制球には改善の兆しを見せており、首脳陣には絶好のアピールとなったはずだ。  そして、この日の登板を受けて、デーブ・ロバーツ監督は佐々木のメジャー昇格を示唆。「朗希は本当に良かった。いい投球だった」と、佐々木の投球を褒めたうえで、「彼はアリゾナに来て、我々に会うことになるだろう」と、24日から始まるダイヤモンドバックスとの3連戦を前にメジャー復帰させる考えを示した。  佐々木自身も救援に前向きな姿勢を見せており、引き続きメジャーでも結果を残すことができれば、ポストシーズンでドジャースの救世主となってもおかしくないだろう。
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高校時代から温室育成され続けたキャリア背景
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1976年、和歌山県で生まれる。地元の高校を卒業後、野茂英雄と同じ1995年に渡米。ヤンキース全盛期をアメリカで過ごした。米国で大学を卒業後、某スポーツデータ会社に就職。プロ野球、MLB、NFLの業務などに携わる。現在は、MLBを中心とした野球記事、および競馬情報サイトにて競馬記事を執筆中。

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