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「断ったら餓死と言われた」終末期の胃ろう・点滴は本当に必要か?東大名誉教授の提言

 病院の治療は“マニュアル”が基本。だが高齢者や終末期では、その正しさが本人の苦痛につながることもある。  90代に利尿剤、92歳の乳がん手術、食べられなくなった家族に胃管・胃ろう・点滴を迫られ「断れば餓死」と言われる――。  人は「食べないから死ぬ」のではなく「死の前段階だから食べられない」。  救急要請で望まぬ蘇生が始まる現実も含め、30〜50代が自身や親の医療と看取りで後悔しないために「延命の線引きとかかりつけ医、リヴィングウィルの備えを考えるべき」と、東京大学名誉教授 矢作直樹氏は説く。 『自然に逝く』書影※本記事は、『自然に逝く 安心して死を迎えるためのお作法』(扶桑社刊)より一部抜粋・再構成してお届けします。

病院は平穏死をさせてくれない所だと、覚えておく

受診中のイメージ

※画像はイメージです(以下同)

 病院でおこなう治療というのは、基本的にルーチンワークです。  慢性の病気でも、急性の病気やケガでも、その対処方法は長く積み上げてきた経験から、確立されてきました。ですから、だれにでも同じような処置をすることが多く、年齢もあまり配慮しません。  私の知人が、90歳の母親になされた病院の対応に憤慨していました。 母親は足の静脈瘤によるむくみに悩んでいたところ、病院から利尿剤を渡されたというのです。  歩くことが大変なうえに、頻尿に悩んでいる高齢者に利尿剤を渡すとは……。1回飲んだら、15分おきにトイレに行くことになり、大変な思いをしたそうです。  この話はトイレに行けばすむことですが、終末期になると、笑い話ではすみません。  別の知人の母親は、92歳で乳ガンが見つかったそうです。高齢者のガンは一種の老化現象ですから、そのまま放っておいても、ふつう変化は緩やかで、ガンと共存したまま自然死することも少なくありません。  しかし、本人が希望されたということで手術をしたそうです。

「断ったら“餓死”と言われた」終末期の胃ろう・点滴、本当に必要ですか?

集中治療のイメージ マニュアルどおりの処方をすることも、本人が希望したからといって、そのすべてをお聞きするのも、いいとは限りません。  そして、多くの人が悩むのが、高齢になった家族が口からものを食べなくなったときです。担当医からオプションサービスを提案されるように、こう聞かれるでしょう。 ① 鼻から胃管を入れますか? ② 胃瘻ろうしますか? ③ 点滴しますか?  自然死に近い形を望んでいた知人が、それらを断ったとき「それじゃ、餓死しますよ!」としかられたそうです。  まだまだ医者のなかに、こういう意識の人が多いようです。  人間は食べないから死ぬのではなく、死ぬ前だから食べられなくなっているということです。  こういった根本的なことを忘れて、マニュアルどおりに、ただ栄養を入れ続ければ、患者さんの苦痛にこそなれ、安らかな死を迎えることはできません。  点滴による水分補給も、本来は不要なのです。胃瘻というのはお腹に小さな穴をあけて、胃に栄養を直接入れる処置です。  本来は、一時的に口から食べられなくなった患者さんにするものですが、今の日本では、回復の見込みのない人にまでするようになっています。  私は、重い認知症の人や、寝たきりで動けず意思表明もままならない人に胃瘻をおこなうのは、適応を外れていると思います。
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命治療への意識はどこまで変わった?
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1956年、横浜生まれ。1981年、金沢大学医学部を卒業後、麻酔科、救急・集中治療、内科の臨床医として勤務しながら、医療機器の開発に携わる。1999年、東京大学工学部精密機械工学科の教授に。2001年に同大医学部救急医学分野教授、同大病院救急部・集中治療部部長。2016年3月、任期満了退官。東京大学名誉教授。著書に『人は死なない』(バジリコ)、『おかげさまで生きる』(幻冬舎)、『天皇の国』(青林堂)など
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「死ぬこと」は終わりではありません。
もといたところに帰ることです。

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