夢を追い続け、ホームレスとなった男は再起できるのか?
―[30代無職のリアル就活日記]―
30代といえば、俗に言う「働き盛り」な年である。しかしこのご時世、ひょんなことから職を失い、はたまた自ら働くことを拒絶し、もがき苦しんでいる者たちがいる。彼らはいかにして地に落ち、どう這い上がろうとしているのか……。そんな彼らに元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二から激辛エールをもらった
【CASE 1】
夢を追い続け、ホームレスとなった男は再起できるのか
森本孝さん(仮名)39歳 無職歴9年
◆「カメラマンになりたかった。本当に、ただそれだけなんです」
六畳一間のアパートで疲れきった表情で呟く男性がいた。都内在住の森本孝さん。10代の頃から写真家を目指し、写真の専門学校を卒業後、アマチュアカメラマンとして活動。アシスタント業や投稿写真を中心にひたすら夢を追いかけ続けた。しかし今、彼の手元に、カメラはない。
「20代の頃はアマチュアとして月5万円程度の稼ぎと、派遣や登録制のアルバイトで食い追いでいました。けれど年を重ねるたびに生活は苦しくなる一方で、愛用のカメラも売り払ってしまいました」
現在、収入はゼロ。「成り行きで」同居する謎の女性(20代)の収入に頼り、家賃5万7000円のアパートで住宅補助を受けながら生活を続けている。
30歳をすぎ、結婚を機に一度は夢に区切りをつけたものの、正社員の職に就くことなくバイトや派遣職を転々としてきた森本さん。これまでの人生の中で”正社員”という選択肢はなかったのか。
「カメラマンとしての仕事の話がいつ来てもいいように、すぐ動けるようにと正社員の道はこれまであえて避けてきました。でもいざ社員としての職を探そうとすると、『なぜ今まで無職だったのか』と経歴を突っ込まれてしまう。経済的に苦しい状況ということを説明しても”嫌になったらすぐ辞めるんだろう”と、採用面接はことごとく不合格。『君みたいなヤツが一番雇いにくい』と、面と向かって面接官に言われたこともありました」
彼を待ち受けていた現実はあまりにも厳しいものだった。昨年には生活保護も切られ、妻と幼い子供とは離れ離れに。そして単身行き着いた場所は都会の冷たいコンクリート、ホームレス生活だった。
「落ちるところまで落ちたなあと愕然としましたね」
その後、約3か月の路上生活を経て、”年越し派遣村”へ。しかし、ついに妻には「あなたにはもう期待できない」と離婚の引導を渡されてしまう。
だが、職もなく、その日食べていくのがやっとで四面楚歌な状況にもかかわらず、彼の口から後悔の言葉はひと言も出てこない。
「世間的に『甘すぎる』と言われるかもしれないけれど、一つの夢を長年追い続けられたということも自分の誇りになっているんです」 今では求人の張り紙を求め、都内を自転車で走り回る生活が続いている。
「この状況を絶対に打破してみせます!」と、取材中には笑顔も見せてくれた。毎日のブログ更新とともに、ネットを介して出会った共通の趣味を持つ仲間とお茶をすることが現在の楽しみだという。
「夢を持て、夢を諦めるな」。子供の頃、親に言われ続けていた言葉が、「何をやってるんだ、現実を見ろ」という言葉に変化したのはいつのことだったろうか。夢と現実の狭間で苦しむ夢追い人は、今日も職を求め都内を彷徨う。
【竹原慎二の激辛エール】
カメラマンゆうとるが、おまえは写真の才能がなかったんと違う。努力する才能がないんじゃ。もっと早くそれに気づかないかんわ。若い女と同居? じゃったら、真剣に女のヒモになる努力をすればええんじゃ。
住宅補助を受けているため、月に数回ハローワークでの相談・就職活動の
報告が義務づけられている。最近、日雇い労働はサボり気味
新宿で知り合った”友達・恋人・夫婦”いずれにも当てはまらない
謎の同居人(20 代・女性)との同棲生活を送る
1歳になったばかりの息子とは何か月も会えていない。
写真を眺めてはため息をつく毎日
移動手段はもっぱら愛車のママチャリ。求人の広告や
張り紙を求め、都内(1時間圏内)を練り歩く
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