江本孟紀が回想「スポーツ平和党で猪木と金銭トラブル、はガセです」
―[ニッポンの政党(笑)盛衰史]―
「近いうち」が現実となり、国民そっちのけで上を下への大騒ぎを繰り広げる永田町。たちあがれ日本が太陽の党になったと思ったら今度は日本維新の会と合流とか、もう何がなんだかわからない。そんな混沌とした政党の歴史を今一度振り返りつつ、ニッポンの未来を考えよう!
【スポーツ平和党】
’89年、アントニオ猪木を中心に結成。同年の参院選で1議席を獲得。スポーツの精神を政治に取り込み平和実現をめざす。’04年活動停止
◆ユニークでわかりやすい党名、新党ブームの先駆けという自負はあります
’89年に格闘家のアントニオ猪木氏が結成したスポーツ平和党。新党・少数政党が乱立した’90年代、猪木氏の存在感や行動力、ユニークな党名などで耳目を集めた。
「私がスポーツ平和党を離れたのは、猪木さんと金銭絡みで仲違いしたから……みたいな情報がウィキペディアに出ているけど、あれ、ガセネタですからね。猪木さんとは今でも普通に交流があるのに」と苦笑するのは、プロ野球解説者の江本孟紀氏。’92年の参院選でスポーツ平和党より出馬し初当選。党の副代表として活躍したが、’95年に離党している。
「党を離れた最大の理由は、’95年の参院選で猪木さんを含む党の立候補者がすべて落選したこと。私の任期はあと3年残っていたし、猪木さんのアドバイスもあって、無所属になったんです」
同党が大きく注目されたのは、’90年、湾岸戦争においてイラクが国外移動禁止処分(事実上の人質)とした現地在留邦人を救出したこと。政府間の交渉が遅々として進まないなか、猪木氏が私費を投じて飛行機をチャーターし、現地に乗り込んだのだった。
「そうした猪木さんらしい活動も含め、わかりやすい政治をめざした功績は大きいと思う。スポーツの精神を政治の世界に取り入れて、平和で健康的な世の中をつくっていこう、という党の姿勢は、混迷感が強かった当時の政局で独特の訴求力があった。ユニークでわかりやすい党名の走りであり、’90年代に起きた新党ブームに先鞭をつけた自負もある」
とはいえ、猪木氏の特異なキャラや元スポーツ選手という先入観でイロモノ扱いもされたのでは?
「それは否定しません。十把一絡げに『政治を知らないタレント議員』なんて揶揄されたりね。私個人としては、真剣に国会議員の仕事に取り組んだし、いわゆる無党派層、政治無関心層に対して、国政に興味を持ってもらう一役を担えたかな、とも考えています」
今どきの大政党より、ずっと骨太で実直な政党だったのかも!?
【江本孟紀氏】
’47年生まれ。プロ野球で活躍後、解説者に。スポーツ平和党離脱後は無所属から民主党などを渡り歩き、’04年まで国会議員を務めた
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