小橋引退にプロレスラーが「人間国宝」となる日を夢見る【斎藤文彦氏特別寄稿】
今年1月に東京ドームで行われた新日本プロレスの「WRESTLE KINGDOM7」は、観客数2万9000人を動員し、会場には子供から女性ファンの姿も増えているという。プロレスの魅力といえばやはり試合。そこで、’13年上半期、メジャーとインディーで最も熱かった試合を“活字プロレス”の名手が紹介!
<2013年上半期を象徴する試合はコレ!~メジャー団体~>
◆小橋“引退”にプロレスラーが「人間国宝」となる日を夢みる(文・斎藤文彦)
日本武道館のアリーナ席の真ん中あたりから上を見上げたら、3階席のいちばん上までびっしりと観客で埋まっていた。ここまで超満員になった武道館を目撃したのはほんとうに久しぶりだった。
小橋建太というプロレスラーの偉大なる足跡を振り返ろうとしたらスペースがいくらあっても足りない。’88年(昭和63年)のデビュー以来、四半世紀にわたりプロレスファンに愛されたスーパースターのなかのスーパースターである。“東洋の巨人”として親しまれたジャイアント馬場さんの弟子で、全日本プロレス時代は三冠ヘビー級王者として活躍。馬場さんの死後、’00年に全日本プロレスから独立し、三沢光晴さんらとともにプロレスリング・ノアを設立。新団体のリングでは“絶対王者”としてGHCヘビー級王座を保持した。永遠のライバルだった三沢さんはもうこの世にはいない。
いささか使い古されたフレーズではあるけれど、小橋は“記録”よりも“記憶”に残る名選手だった。全日本時代のスタン・ハンセン、スティーブ・ウィリアムスら外国人選手との死闘、三沢さん、川田利明、田上明、秋山準ら日本人選手とのシングルマッチの数々は「何年何月のどの試合がベストマッチ」と判別できないくらい、闘うたびに名勝負が生まれた。
’06年に腎臓ガンによる長期欠場で選手生命が危ぶまれたが、’07年12月に奇跡的に戦列復帰。その後も肘、膝、首の負傷で欠場―復帰をくり返した。小橋というプロレスラーのすさまじさは、そういった人生のドラマをすべてさらけ出し、ファンと共有したことだ。
引退セレモニーのため武道館のリングに立った小橋と、小橋といっしょにその日、その場所にいることを選択した1万7000人の大観衆をながめながら、プロレスラーが「人間国宝」となる日――遠いある日――を夢みた。
【斎藤文彦氏】
’62年、東京都生まれ。早大大学院スポーツ科学研究科修了。プロレスライター、大学講師。『週刊プロレス』にて連載を持つ。ツイッターのアカウントは@Fumihikodayo
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