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[ソニー離脱エンジニアたち]の逆襲 【清武英利渾身リポート】vol.3

近年、心臓部ともいえるエンジニアのリストラが相次いでいるというソニー。しかし、ソニーを退いた面々は枯れかかった本体をよそに、そのDNAをタンポポの種子のように飛ばし、根を張り、新たな生命を育んでいる。その逞しさの秘訣は何か。清武英利が追った ⇒【前回】ソニーを離れたエンジニアが咲かせる「花」
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◆ソニー通りに集まる「辞めソニー」の面々
清武英利氏

清武英利氏

 五反田駅周辺、あるいはその駅から出発した「辞めソニー」のエンジニアが次々と起業に挑んでいる。五反田駅近くには、最先端の静脈認証技術を誇る天貝佐登史氏(’79年入社)が「モフィリア」を設立した。元エンタテインメント・ロボットカンパニー・プレジデント。自らが開発した技術をソニーから買い戻し、指の静脈情報で本人確認を行う電子機器を製造販売している。 「アキュートロジック」もまた、五反田駅近くにオフィスを置く。福嶋修氏(元部長)が会長を務め、スマートフォンなどに搭載するカメラのソフトを開発している。  彼らがソニー通りを選んだのは、地価が安く交通の便がいいためだ。加えて「ソニーの原点」という思いもあるのだろう。  ただ、タンポポの種は品川区からすでに各地に飛んでいる。平面ブラウン管テレビを手掛けた近藤哲二郎・元ソニー研究所所長は東京・用賀に「Iキューブド研究所」を設立し、次世代テレビの開発に挑む。世界初の無線テレビを開発した前田悟氏は「エムジェイアイ」を興し、企業の商品開発コンサルタントとして忙しい。いずれも、開発競争に再び身を投じる異能の“狩猟系”タンポポだ。  その一方に、面白がりの“農耕系”がいる。世界最高水準のプラネタリウム開発会社を興した者もいれば、バレリーナの妻とバレエスタジオを開いた元ビジネス開発課統括課長がいる。ラーメン店や蕎麦屋、コーヒー店、フラワーアレンジメントショップ経営者、整体師やジャズピアニスト、アートギャラリー主宰に転じた人もいる。イタリア・ミラノでB&B(Bed and Breakfast=朝食付きの宿泊施設)を開業した幹部もいるのだ。  私は’11年に読売巨人軍を去った後、多くのソニー退職者を取材してきた。読売グループのドンの非を訴えて解任された私と、ソニータンポポ組では事情が異なるが、いくつか共通していることもある。その一つは、大きな会社を去ったことを後悔していないこと。もう一つは、ソニー創業者・盛田氏の次のような言葉に共感することだろう。 「この会社に入ったことをもし後悔するようなことがあったら、すぐに会社を辞めたまえ。人生は一度しかないんだ」 【清武英利氏】 ’50年、宮崎県生まれ。立命館大学卒業後、読売新聞社に入社。社会部記者、東京本社編集委員等を経て’04年、読売巨人軍球団代表。’11年11月球団代表を解かれた ~ 「SONY TMP」起業エンジニアたちの現在 ~ <狩猟系> ●近藤哲二郎氏(’80年入社) 平面ブラウン管テレビ開発者。「Iキューブド研究」所設立 ●天貝佐登史氏(’79年入社) 最先端の静脈認証技術を持つ。「モフィリア」設立。 ●福嶋 修氏(’78年入社) 「アキュートロジック」会長。五反田でスマートフォン用カメラソフトを開発、販売 ●日下部 進氏(’81年入社) 非接触型ICカード技術「フェリカ(FeliCa)」開発の中心人物。恵比寿に仲間と「QUADRAC」設立 <農耕系> ●小林孝次氏(’89年入社) カーエレクトロニクスエンジニア。北海道・美瑛に土地を入手。地元観光協会のプロモーター ●坂尾勝利氏(’91年入社) 元ビジネス開発課統括課長。バレリーナの妻とともに横浜の中華街でバレエスタジオを開設 ●川那辺 晋氏(’82年入社) ソニーヨーロッパを早期退職。ミラノ近郊にブドウ畑付きの家を購入し、B&Bをオープン ●大平貴之氏(’96年入社) スーパープラネタリウムの「大平技研」設立。ネスカフェのCMに出演。松任谷由実らとコラボ ●荒瀧裕司氏(’90年中途入社) 元技術部統括部長。和風ラーメン店「べんがら」経営(現在は体調不良で休業中) ※狩猟系・農耕系の分類は清武氏による 写真提供/品田哲氏 撮影/遠藤修哉(本誌) ― [ソニー離脱エンジニアたち]の逆襲【3】 ―
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