更新日:2014年09月24日 16:13
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いまはなき「ナンパ箱」、全盛期の狂乱伝説に驚愕

’80年代~’00年代にかけて、ナンパ師が日夜あの手この手で女のコを引っかけるナンパの“聖地”がいくつもあった。そうした場所はどうなったのか? 現状を探ってみた ◆一日に2~3回転だって可能!今はなきナンパ箱の原風景とは【クラブ】 クラブ ’90年代のギャル全盛期、渋谷のホテル街には超人気クラブ「パイロン」が存在していた。 「列の後方から声をかけ、引っかかればそのままラブホに搬送。20分でコトを済ませたら、その女は列の後方に捨て、再び列に並ぶ女に声をかけてはホテルに連れ込む、という“エコナンパ”方式を採用していました」(元常連客)  現在、「パイロン」があった場所は「ATОM」へと様変わりしているが、当時ほどの熱狂ぶりはないという。同店と並び、一時代を築いたのが、同じく渋谷にあった「フーラ」だ。ギャル、ギャル男が集まり、朝まで踊り狂う。現在、同店の跡地には、別のクラブが営業中だが、ナンパより音楽好きが集まる箱になっている。  一方、約10年前に「日本一のナンパ箱」として栄え、ナンパ師間で殿堂入りと称されたのが西麻布の「エーライフ」だった。 「ここでは“回遊魚”というナンパ法が確立されていました。同店の地下1階は楕円形になっていて、深夜3時すぎには泥酔女が回遊魚のように流れてくる。彼女たちの腰を掴んで隣接するマンションのボイラー室に連行。そこはナンパ師の間で“カゴ”と呼ばれていた。そこで青姦。外にはハメ待ちの列もできるくらい」(元常連客)  ナンパ師の絶好の箱であった同店も、今や風営法によるクラブ規制の煽りを受け、数年前に完全撤退。今もナンパ箱と呼ばれるクラブはあるが、かつての3店ほどの知名度を誇る店は現れていない。 ●パイロン<’95~’02年> 関東全域からナンパに自信のあるギャル男が集結。狙うは“ヤマンバ” ●フーラ<’98~’02年> 客層はパイロンと重なる。朝までに2店舗をハシゴする者も多かった ●エーライフ<’04~’08年> 年齢層は30代前半までと高め。20代OLがヤリチンリーマンの餌食に ※写真はイメージです ― ’80年代~’00年代、あの[ナンパスポット]の今【3】 ―
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