「分家のくせに」と母親をこき使う親戚。20代息子がブチ切れるまで
都市部に暮らす若い世代にはピンと来ない人も多いかもしれませんが、地方在住の中高年層には気にする人も多い、親族間の本家・分家。長男が中心となって一族を代々まとめる戦前までの家制度の名残で「長男(=本家)」と「次男以降(=分家)」ではその扱いに明確な格差が存在しました。
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そのため、なかにはいまだに「本家の人間は偉い」「分家は本家に従う立場」と勘違いしている者も多く、他の親族にマウンティングしてくるケースもあるようです。
ウェブ情報サービス会社に勤める坪井航平さん(仮名・28歳)は雪国の農村の出身。親族の多くが同じ県内に住んでいるのですが、「本家・分家をやたらと気にする人が多い」と言います。
「父方の一族がまさにこんな感じ。父は長男なんですけど、おじいちゃんが6人兄妹の4番目でウチの一家は分家筋という立場。盆と正月、さらに春秋の彼岸の時期には家族全員で本家に挨拶へ行くことがしきたりになっていました」
それは大学時代に父親が亡くなった後も続き、以前から母親のことをよく思っていなかった本家の従弟叔父夫婦は母子家庭となったことで露骨に見下してくるようになったそうです。
「母の地元は遠方だったため、父が亡くなった後も親戚付き合いをやめるのが難しかったんです。ただ、経済的には母が看護師をしていたので困窮しているわけではなかった。私は引っ越して付き合いをやめることを提案したのですが、看護師長という責任ある立場だったこともあり、母は病院を辞めて別の土地に移ることをためらっているようでした」
それでも根気強く母親に提案し続けると、坪井さんが就職したのを機に家を処分して引っ越すことを決断。隣県の県庁所在地にある病院に転職することに。ですが、親戚一同が集まる際には事前に何度も連絡が来ていたそうで、なかなか距離を置くことができずにいたようです。
「母は病院でこそ命を預かる立場なので、部下には厳しい態度で接していたようですが、基本的には人に強くモノを言えない性格。ましてや相手は父の親族ですし、分家という負い目もあってずっと遠慮していたんだと思います。
でも、向こうもそれを知っているのか、親族が集まるときは朝早くから呼び出して料理の支度、夜も後片付けをさせていたので誰よりも早く来て、帰りは1番最後。さらに途中でお酒がなくなれば買い出しに行かされるのは母の役目で、ゆっくり座って食事する時間すらないほど。父が生きているころはそこまでひどい扱いではなかったですが、さすがに目に余るものがありました」
本家に挨拶へ伺うのがしきたりだった
料理の支度や雑用などを母親に押し付けていた
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