江川卓、掛布雅之、福本豊etc. 昭和プロ野球レジェンドが明かす「絶対に忘れられない一球」とは?
数々の名勝負を演じ、今も我々の脳裏に焼き付くプロ野球レジェンドたちにとって “絶対に忘れられない一球”とは――。
そんな野球ファンなら誰しも気になるこのテーマを、昭和期に活躍した37人もの名選手に投げかけたのが『一球の記憶』(朝日新聞出版)だ。
プロ野球1試合で投じられる球数は、両軍合わせて約300。試合に出続けるレギュラークラスの選手なら年間約5万もの白球の行方を追うことになる。そこで活躍し、十数年に及ぶ現役生活をまっとうしたレジェンドともなれば、じつに100万に迫る打球・投球を、フィールド上で経験してきたことになる。
そんな無数の白球の記憶のなかから今も脳裏に焼き付いている“たった一球”を、著者が名選手らと対峙し、丹念に紐解いていくのが本書だ。
’70~’80年代のヤクルトを牽引して“小さな大打者”と呼ばれた若松勉が、ケガに苦しむなか一度ならず二度も一振りで試合を決した「二試合連続代打サヨナラホームラン」の記憶を語れば、“ミスタータイガース”として阪神を初の日本一に導いた掛布雅之は、レギュラー定着間もない’77年開幕戦での「初回満塁ホームラン」で感じた“恐怖”をみずからの言葉で紡ぐ。
「その頃、ちょうど脇腹に肉離れがあって、四打席は難しい状態だった。だからスタメンを外してもらって、一振りならいけますって。(中略)肉離れだから空振りしたり、何度も振るっていうのが本当にできない。偶然なんだけど、どちらの打席も狙い球をスライダーに絞って。一球で仕留めてやる!と思いながら」(『一球の記憶』Chapter1 若松勉 より)
「その前年に3割を打って、ホームランも27本打ち、レギュラーとしても認められて、急激にチヤホヤされだしたわけでしょう。二十一歳の若者だった自分にとっては野球が楽しくて仕方なかったんですよね。でも、四年目のシーズンに入る前、いきなり野球が怖くなっちゃうんです。オープン戦でも4割近く打ってホームランも打ててた。だけど打てば打つほど怖くなる。自分に期待する怖さもあるし、周囲からのプレッシャーも感じる。マスコミのペンだってもちろん怖い。だから開幕なんて恐怖で一杯で、生まれてはじめて野球が怖いっていう感覚を味わうようになっていたわけです(中略)。満塁ホームランを打った直後、多分はじめてじゃないですかね、バンザイしたのは。なぜバンザイが出たかっていうのは、恐らく、怖さというものをホームランの感触が一瞬、忘れさせてくれたからじゃないですか。でも、ホームベースを踏んでベンチに帰ってきたらまた我に帰る返るわけです。次の守備、次の打席がさらに怖くなっていることに気づく。大げさじゃなく、ベンチでブルブル震えてましたよ」(『一球の記憶』Chapter31 掛布雅之 より)
100万球近い白球のなかから“今も忘れられない一球”
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